百葉箱

百葉箱2023年3月号 / 吉川 宏志

2023年3月号

  妻不在塩の置き処がわからずに隣家に借りる一つかみほど
                            石飛誠一

 中高年の男性によくありそうな場面だが、「一つかみほど」に生活の手触りが出ている。
 
  はじまれば徐々に手慣れる盆踊り終はる頃には月盗るごとく
                             北島邦夫

 「手慣れる」にやや違和感はあるが、下の句が良く、盆踊りの不思議さが伝わってくる。
 
  違和感もて発掘調査の記事を読む戦死者の遺品を出土品とは
                             与儀典子

 「出土品」というと古代遺跡のよう。名詞がやや多いが、戦争の風化を危ぶむ思いがにじむ。
 
  もう何もわからなくなりし母なのに「主よ」と言いしと病室の人は
                                石井久美子

 同室だった人の話を聞いたのだろう。最後まで神を思った母の境涯に、胸を衝かれている。
 
  本当は縦かも知れず気にもせずみんな見てゐる土星の輪つか
                             本田 葵

 本当は宇宙に縦も横もないのだが、人間の思い込みを鋭く指摘している。「気にもせず」がやや言い過ぎかもしれない。
 
  つわぶくと勝手な動詞つぶやきぬ黄の花たちが道のに揺れ
                             白澤真史

 「つわぶき」から動詞を作るという発想がユニーク。あの冬の花の感じがよく出ている。
 
  ストーブのまへだけがわが領地なる零下十八度のこのあした
                           千葉優作

 極寒の地の体感を、「わが領地」という語で、簡潔に捉えている。
 
  そろそろに陶芸終いしようかと入念に練る菊練りの山
                          八木若代

 年齢的に陶芸をやめることを考え始めたのだろう。「菊練り」という言葉に味わいがある。
 
  呼吸法範示さむと師は胸のわづかな動きに吾の添へたり
                            川島 信

 前後からフルートの師だと分かる。密接な師とのつながりが描かれ、強い印象を残す歌だ。
 
  モルヒネに頼りし子規の晩年はきみによく似て 秋雨の降る
                             伊藤陽子

 子規を通すことで、悲しみにかすかな客観性が生まれ、透徹な一首となっている。
 
  こくこくと麦茶を注ぐわれもきみもさびしき婚を一度していて
                              松本志李

 麦茶という題材や、第三句の字余りが効いていて、洗練された哀愁をもつ歌になった。
 
  クリップは百個単位で売られおり九十八個を書棚に仕舞う
                            北奥宗佑

 二個使ったことを回りくどく言っているところに、かえって独特のおもしろさが生じている。
 
  負けました、そう告げるときうつくしく手は駒台に影をいざなう
                               紫野 春

 結句の「いざなう」で映像的に立ち上がってくる一首。
 
  空き瓶に集められたる飛魚の百の目玉が少女を見おり
                          髙山葉月

 不気味な美しさで迫ってくる。「飛魚」が謎めいていて、飛べない者の無惨さも感じられる。
 
  駅前の小さなそば屋はおばちゃんがおばあちゃんになりどんぶり運ぶ
                                 野口一海

 郊外でよくありそうな風景だが、長い時間を感じさせる表現に巧みさがあり、結句の現在形にも臨場感がある。
 
  「皆つらい」なんてそんなん知らんがな私はつらい私がつらい
                              平田あおい

 生の苦しみをストレートにぶつけた一首で、このような勢いも歌では大事だろう。「は」と「が」の使い分けにも工夫がある。

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