百葉箱2023年9月号 / 吉川 宏志
2023年9月号
葬儀屋は「えっ初めてです」と驚きぬ夫にピンクの棺を選ぶ
白井陽子
夫が好きな色だったのか。死の後も、常識に縛られていることに気づかされる。
なんどでも地球に傘を置き忘れそのたびに地球で買い直す
鈴木晴香
当たり前なのだが、言葉の位相を変えることで、スケールの大きい宇宙的な歌になった。
土砂降りのひと日を終えた助手席に君が見つけた虹を見ている
高松紗都子
下の句にさりげない美しさがあり、響きも柔らかい。
民放のラジオの人は早口で時間の箱に言葉を詰める
山﨑大樹
ラジオ番組を「時間の箱」と捉えた発想が新鮮。
勢いて岸辺の草にふれゆける水は光に影を編み込む
しん子
夕明り車内にかげを作りつつ座れるわれの膝の明るし
徳重龍弥
しん子作品・徳重龍弥作品、ともに光と影を描く。「編み込む」という動詞や、「膝」という身体語により、情景にくっきりした輪郭が与えられている。
手作りの文字盤をさし会話する声出ぬ夫と聞こえぬわれと
西村千恵子
厳しい境遇をそのまま簡潔に歌い、強い印象を残す。
水ぬるみ湿地に萌ゆる葦牙のいまだ傷みをしらぬ直立
三上糸志
「葦牙」は葦の若い芽。「傷みをしらぬ」から、むしろ傷つきやすい柔らかさが伝わってくる。
胸中のなずなはそよぐしゃべらない子どもだったと言われるたびに
中込有美
幼い頃の記憶は、心のどこかに眠っている気がする。それを繊細な比喩で捉え、情感が深い。
ひとりだけ置いていかれたような午後わたしがあの場を抜け出したのに
大井亜希
職場を辞めたときの感情だろう。この孤独感はよく分かるように思う。共感した一首。
墓石には花も団子も置かぬやう張り紙のある春が来たりぬ
横山敦子
鴉などに荒らされるので禁止しているのだろう。淡々と描き、新味のある春の歌になった。
空と地をつなぐ水張田あらはれて鯉の背に似る鯉山
岡田ゆり
広大でみずみずしい風景が目に浮かぶ。リズムが快い。
人が皆最期に受くる診断書五枚十枚われ「済」を捺す
若月香子
死亡診断書を確認する仕事だろう。数多くの死を整理していく現場が描かれ、迫力がある。
差し出されタブレットに書く吾が名前ふにゃふにゃとした払い撥ね止め
浅野次子
保険などの契約の場面だろう。下の句がリアルで面白い。
高齢化進むハンセン病市民学会 手伝い生徒の制服白し
出岡 学
若い世代の参加に希望を感じている。制服の白が爽やか。
ドロップの薄くなりしをつまみだし「ママのコンタクトみたいだよ」という
青垣美和
子どもの言葉がユニークで、新鮮な比喩になっている。
名に惹かれナンジャモンジャに会いに行く白い花びら細断紙のごと
髙橋美津子
シュレッダーで刻んだ紙に、花をたとえた。意外性があるが、なるほど!と感じさせる。
花入れの水に延命剤を溶く花には拒む自由なけれど
船岡房公
延命を拒むことができる人間のことを連想してしまう。「自由」とは何かを考えさせる歌。
旅行誌の同じページを見ていても違う形で影は重なる
初夏みどり
二人の頭の影が頁に映っているのだ。二人で旅しつつ、別々の存在である寂しさが伝わる。
昨晩の満月は目を合わせてはいけない方の満月だった
松田康介
シンプルなのに、じつに不思議な歌で、妙に心に残る。