百葉箱

百葉箱2024年2月号 / 吉川 宏志

2024年2月号

  ドトールでハマスのことを話してて声はつくづく他者であること
                               山川仁帆

 自分の声でありながら、悲惨なことを語るとき、ひどく他人事に響いてしまうことがある。「ドトール」もよく効いている。
 
  生牡蠣がだれかの足の裏のようほのじろくわが喉を踏みゆく
                             大森静佳

 なまなましい触感を比喩で巧みに捉える。「踏みゆく」がやや念押し的だがおもしろい。
 
  自由ってきっと不自由ブラウスのフリーサイズは一種類だけ
                             はなきりんかげろう

 「自由」には、確かに矛盾が生じることがある。下の句の機知がユニーク。
 
  床に就きて腹這ひに開きぬアンソニー・ホロヴィッツ こちらは罅割れし骨董で
  はなくて                            河村壽仁

 ピアニストのホロヴィッツを吉田秀和は「ひびの入った骨董」と評した。この歌は別人のミステリ作家。知識の自在さが楽しい。
 
  町じゅうの墓石ふくらむまっぴるま眩しさにからだちいさくなって
                                中田明子

 異様な感覚を大胆に歌う。「まっぴるま」の狂気。
  
  冷蔵庫の給食袋に見張られてカレーの日にはカレー作らず
                            丸山かなえ

 メニューが重ならないよう苦心する。生活実感があり、「見張られて」も独自的な表現。
 
  ふりあげた角度を肩にのこしつつ金剛力士でありし一木いちぼく
                           岡部かずみ

 朽ちてしまった木像。上の句の観察眼が魅力的だ。
 
  ボクにはもう身体はないけど幸せにしたいんだ君を だから秋風 
                               太田愛葉

 急逝された作者の一首。死を予感したような透明感がある。「だから秋風」が印象深い。
 
  船酔いをしない娘は七つまですなどる祖父のかたえにおりし
                           中澤三千男

 小説の始まりのような味わいで、風景が目に浮かぶ。
 
  水風船のかたちに垂れる残り柿いつか茜の空に吸われむ
                           松山恵子

 熟柿の様子は破れそう「水風船」の質感を思わせる。
 
  ホチキスの針のなくなる瞬間をわかるてのひらあなたにあてる
                              星 亜衣子

 誰もが感じる瞬間をうまく捉え、恋情に結びつけている。「を」も効果的に用いられている。
 
  親指の逆剥け疼くああこれは海が足りない 海を見に行く
                            田島千代

 下の句の海への展開に意外性があり、リズムも快い。
 
  自販機でかに雑炊が売っていてこの世の誰かは救われてくれ
                             音無早矢

 缶のカニ雑炊で救われる人もいるが、自分は救われないのだ。明るい絶望感が漂う。
 
  放送禁止用語をはきはきと言っている白黒映画を観る昼下がり
                              西村鴻一

 差別語に無意識だった時代の奇妙な明るさ。「はきはきと」に複雑な心情がにじむ。
 
  死者数とかずからげて伝へ来る死者の誰にも名はあるものの
                            船岡房公

 現在、強く実感されることだ。「絡げて」が鮮烈に響く。
 
  子の髪はやはらかな群れ撫でてゐるてのひらこそが撫でられてゐる
                                小金森まき

 撫でる・撫でられるが逆転する感覚に、はっとさせられる。「群れ」が新鮮な把握。
 
  読んできたページとこれからのページ、手のなかそっと合わせる月夜に
                                中嶋 学

 過去と未来に触れるような感覚を詩的に歌う。「ページ」と「頁」の表記にも工夫がある。
  
  とめどなく分岐していく葉脈だ あなたの街を拡大すると  
                            奏樹

 スマホの地図を拡大する場面だろう。「葉脈」が美しく、「あなた」への思いが籠もっている。

ページトップへ