百葉箱2022年8月号 / 吉川 宏志
2022年8月号
両腕をいっぱい拡げ大杉を抱かんとして抱かれており
加藤武朗
木を抱いているつもりが、自分が抱かれていた、という発想は前例はあるだろうが、大らかで爽やかな一首である。
道すがら白い月から黄の月に移りゆくのを夕ぐれと言ふ
友田勝美
月の色をよく観察した上で生まれた美があり、言葉の流れもゆるやかで、いい味わいがある。
入り口に人質のごとく預けいし日傘の首の鍵をひらきぬ
沼尻つた子
「人質」「首」という語の連鎖により、よく見る情景が不穏なものに見えてくる。巧い。
山に聞く雉の鳴きごゑふと止みてゆふぐれの山は立ち上がりたり
福島美智子
結句に力感があり、夕暮れの山の静かな存在感が迫ってくる。雉の声も懐かしい。
揺れる葉にひかりの結露まばたきのたびに睫毛はすこし死ぬけど
田村穂隆
睫毛が死ぬ、という発想に凄みがある。単なる思い付きではなく、身体の本質に触れているところがあろう。上の句も美しい。
山刀を携へ分け入る暗がりのふいに明るみ桜の大樹
河野純子
暗い森の中で、満開の桜に遭ったときの慄きが、リズムの変化によって伝わってくる。
十一歳の強者つれて木曽路行くきつと弱音をはかせて見せむ
伊藤孝男
子どもと共に山道を歩き、試練を与えてやろうという思い。無邪気な対抗意識がおもしろい。
夫よりも長く連れ添いし大臼歯麻酔のなかで永久に別れる
村上春枝
「夫よりも」という比較に驚かされる。「麻酔のなかで」という表現にも現実感がある。
逃げ水みたいに飛んでゆく まあいいさ 思ひ出せない思ひ出なんて
谷口富美子
細部が思い出せず、消えてしまった記憶なのだろう。「逃げ水」の比喩や、「まあいいさ」など、言葉に自在さがあり、印象に残る。
すすまざる季のなけれどすすめざるわれの息する病床とふ繭
赤嶺こころ
時間が止まったような病床の感覚を、屈折した文体と「繭」という喩でリアルに描く。
部屋に置き忘れられたヘアアイロン 何で僕よりさみしそうなんだよ
川又郁人
恋人が部屋から去ってしまった場面。ヘアアイロンという具体物を通して、未練を切なく歌っていて、心に沁みる一首。
あめんぼは水というもの知らなくて知っているのは水の一面
水岩 瞳
やや理屈っぽいが、なるほどと思わせる意外性がある。
しずくごと谷折りにして丸めればいっときの雨雲である傘
山桜桃えみ
「しずくごと谷折りにして」が繊細で、美しい表現。下の句は、ややくどいか。
チクチクと頬刺す風に丘登り見れば夕焼け賞状のごと
山田一幸
結句の比喩に、驚かされる。金色で、厳かなイメージだろうか。発想が大胆なのがいい。
残された『あづまかがみ』の文字があり見知らぬあなたと会う検索機
白浜晃一
図書館や書店で、検索機に前の人が調べた書名が残っていることがある。そこから他人との繋がりを感じた。「あづまかがみ」(吾妻鏡)が人名のように見えてくる。