百葉箱

百葉箱2023年12月号 / 吉川 宏志

2023年12月号

  ユーミンのコンサートへ向かうバスの中「遺体安置所だった」という声
                                 逢坂みずき

 震災の日々を思い出している声だろう。時間の流れのはやさやむごさが胸に響く。
 
  この夏に流れた汗の八割は首から腋へのルートをつたふ
                           森 絹枝

 じつに客観的なのがおもしろい。汗の量が迫ってくる。
 
  ゆっくりと生の絶えゆく食事せし即身仏の茶色き手首
                          西 真行

 手首に焦点を当て、即身仏の凄愴さが目に見えてくる歌。
 
  地下鉄の向かいの窓に映りたるわれら二人をふたりで見ている
                              福西直美

 「二人」の繰り返しが効果的で、二人で居ることの不思議さを改めて感じているようだ。
 
  綴らるるほどに重たき紙製の日誌めくれば亡きひと見つく
                            竹井佐知子

 昔から続いている業務日誌なのだろう。積み重なった時間の重みに圧倒されている。
 
  冷蔵庫の君にもらったハムサンドこちらを向いて三角座り
                            山田恵子

 ハムサンドは確かに三角座りの形。ユニークな比喩に、「君」への温かい思いもこもる。
 
  川面より朝霧たちては消えてゆく白波逆まく鹿跳しかはね渓谷
                          根本秀行

 滋賀県の地名がよく効いている。風景の描写も丁寧だ。
 
  流灯のかたまりやすきひとところ明るむほどに闇が揺れ合ふ  
                             小平厚子

 灯籠流しが柔らかな言葉で描かれ、光と闇が印象深い。
 
  告白は父の寝入りしときえらび話せば母はうなづきくれし
                            川島千枝子

 何の告白かは不明だが、小津安二郎のような味わいがある。父を傷つけたくなかったか。
 
  朝露に靴ぬらしつつ行く苑に黄の蝶わが身を一回りする
                           八木由美子

 さりげない一首だが、描写がこまやかで臨場感がある。
 
  歌碑のうら小さき流れに風通ひオハグロトンボとび交ふが見ゆ
                              片岡幸乃

 御船町の河野裕子歌碑だろう。静かな景を繊細に歌う。
 
  九時になり君は寝床に消えてゆき灯りはわれの為だけに照る
                             広瀬桂子

 「君」との時間感覚の違いを捉え、ほのかな哀感がある。
 
  そうなのか乾燥剤は辛いのだ まだらとなりし兄に知りたり
                             山本建男

 「まだら」は認知症のこと。乾燥剤を食べてしまう兄。辛い状況だが淡々と受け容れている。
 
  壁紙の継ぎ目のくすむベッド横この病室で幾人触れし
                          髙鳥ふさ子

 入院した部屋を即物的に歌っており、孤独感が漂う。
 
  出会ひしは朝の通勤バスのなか二年後妻がバスに手を振る
                            坪井睦彦

 バスをめぐる恋の記憶。幸福な思いが伝わる一首だ。
 
  暮れ方を花剪るひとにもらひたる木槿の小枝にこゑの残れり
                             中村みどり

 花を剪ってくれた人の声を、小枝を見つつ思い出しているのだろう。優美な雰囲気がある。
 
  丘をなす小さき器官を鼻と呼ぶ涙は流れ分岐する場所 
                          小林純子

 身体を即物的に捉えているが、背後には悲しみの涙があろう。「分岐」が印象的だ。
 
  早口の医師が乳房の十二時のあたりに闇をふたつ見つける
                            森山緋紗

 「十二時」という語にインパクトがある。自分の身体が物体として診られることへの怯おびえ。
 
  無意識のあなたが見せる表情に秋の海っぽさがたまにある
                            杜崎ひらく

 大づかみな表現がこの歌では効果的。「あなた」がまだよく分からず、それが魅力なのだ。
 
  くちづけのたびに印画紙ゆらめいて形あらはす眼底の百合
                            奏 樹

 不思議な歌だが、映像的な美があり、妖艶さが伝わってくる。

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