百葉箱2024年4月号 / 吉川 宏志
2024年4月号
月明かり南の窓からさしこんで四角い部屋にしかくをつくる
乙部真実
「四角」「しかく」の繰り返しが、絵本のような雰囲気を生み出している。
糸檜葉の真上にありし満月は宙に浮きたり糸檜葉伐りて
福政ますみ
樹が無くなったので、月が不安定な感じで見えるのだ。「糸檜葉」の語がよく効いている。
透明な波が時おり這い上がる長き桟橋 自転車でゆく
松浦わか子
「這い上がる」で、波に生命感が与えられている。海の上を走る爽快感がある。
ぢいちやんのおしごとはなに、山茶花のやうなる眼に聞かれゐるなり
嶋寺洋子
比喩が新鮮で、好奇心に澄んだ眼が思い浮かぶ。
落ちている髪の毛の端おしながらひろう寒夜に ささくれがある
浅井文人
上の句で動作が丁寧に描かれ、冷ややかな触覚が伝わる。結句からかすかな痛みが感じられる。
「ご自宅をまわりましょうか?」霊柩車はローンの残る家を経由す
のーどみたかひろ
悲しみの中、シニカルなユーモアが漂う歌。
竹やぶに降り積もりたる雪の絵の描かぬところに雪の見えたり
中村由美
描き残して白い部分が雪に見える。絵を見ているときの感覚が的確に捉えられている。
駅降りれば迫りくるやうに山近く雌岳は雄岳に隠れてをりぬ
和田 澄
山の重量感を見ているだけで感じることがある。下の句の音の響きが良く、印象的。
噺家は口から雪を降らせつつ討ち入り終えぬ座布団の上
谷 活恵
上手い噺家は、言葉だけで聞き手に雪の冷たささえ感じさせる。「口から」がおもしろい。
正月を終へふる里にバスを待つさんこぶらくだのやうな雲浮く
川井典子
「さんこぶらくだ」は存在しないのだが、雲から幻影を思い浮かべたところがユニーク。
やや長いエンドロールで立つ人は夜道を急ぐ猫の背をする
といじま
映画館の闇をそっと出ていく人の姿を描く。下の句の比喩に強い説得力がある。
胃は顔と同じ表情をするんです笑ひなさいと老医師言ひぬ
松井洋子
ストレス性の胃痛を注意する老医師の言葉が味わい深い。
青空をつかむ小さき手麻酔なく切断さるるジョン・レノン忌
田島千代
ガザで子どもたちが殺されている状況を歌う。平和を願ったジョン・レノンを思わずにはいられないのである。
カーテンは遮光度合いで選ばれて冬に選べば間違うけれど
永井 駿
「けれど」で終わるのがいい。間違うけれど選ぶしかない。それが生なのだ、という思いがある。
父の死の記載の残る戸籍から離れて暮らす 暮らしはじめる
長谷川 麟
「暮らす」の繰り返しに、父の死から離れゆく寂しさと、新しい生活への希望がこもる。
死神に見えるだらうかおもちやからたましひのごと抜き取る電池
小金森まき
玩具の電池を抜くのは、子からは、死を与えたように見えるかもしれない。不思議な発想で、文体にも独自の空気感がある。
親のためにやった受験がうまくゆきガムを吐き出す紙をなくした
古井咲花
親に対する反感のやり場のなさ。ガムを捨てる紙によって象徴的に歌われ、印象鮮やかだ。