百葉箱

百葉箱2024年1月号 / 吉川 宏志

2024年1月号

  浜名湖はきぞの秋雨に濁りをり風のなかにあるうすい塩の香
                             松原あけみ

 さらっとした旅の歌だが、「うすい塩の香」に実感的な味わいがあり、爽やかである。
 
  海中に棲むものたちに声のなく声持つわれの声のちひささ  
                            山尾春美

 汚されてゆく海と、反対しても声が届かない現状を歌う。「声」の繰り返しが効果的。
 
  わが家の見えゐて遠しま直ぐなる路を日傘の影とあゆめり
                            首藤よしえ

 夏の昼のしんとした静けさ。情景が目に浮かぶ一首。
 
  病名を吾に告げしより二夏を過ぎし君なり湖北にむかう
                           徳野明了

 残された時間をいとしむ思い。「湖北」が印象的である。
 
  金木犀をきんもくせいと知った子が街の空気を名付けて歩く
                             羊 九地

 キンモクセイと名を呼ぶことは、空気に名前をつけることなのだ、という発想が魅力的だ。
 
  猫に言ふごと問はれたりどの原をよぎつてきたの牛膝いのこづちまみれ
                            いとう 琳

 自分が猫のように見られた、という視点がユニーク。
 
  停車する窓がひたいを冷やしつつ真白き花をひとつ見せたり
                             渡部ハル

 「窓」が主体で、自分を客体として描いている。その逆転にハッとさせられる。
 
  ハニーチーズトーストゆっくり指でさくあたたかいものはさめやすいもの
                                  鈴木精良

 下の句が、人の心のようにも感じられる。上の句のカタカナ中心の表記も洒落ている。
 
  曳山のまはす位置の決まれるや跡のまあるくマンホールの横
                             俵山友里

 第二句の字足らずがやや気になるが、祭りを独自の視点でとらえ、細部のおもしろさがある。
 
  明らかに水の流れが見えてゐる われの嘔吐のもうすぐ胃酸
                             横井来季

 トイレで吐いたのか。珍しい題材で、イメージが斬新。
 
  駅ごとに空気と人を入れかえて各駅停車に秋の陽は散る
                           森川たみ子

 秋らしく、爽やかな情景。上の句が巧い把握である。
 
  天井を見上げて測るめまひ指数眩めば窓に梢のひかる
                          岡部由紀子

 「めまひ指数」という題材が印象的。結句で明るい外景に転じたのも気持ちがいい。
 
  籐椅子は亜麻色に古り亡き姉を座らせたままうちでいただく
                             河野純子

 亡くなった姉の記憶が残る椅子。「座らせたまま」という表現に、寂しさがにじむ。
 
  注射から顔を背ける吾のため診察室には蝶々のシール
                          黒澤沙都子

 今まで見えていなかった蝶が、目に入ってきた。見えることのおもしろさが伝わる歌。
 
  素麺で満たされていた桐箱の底は乾いた秋の手ざわり
                          toron*

 場面の切り取りが巧く、リアルな生活感と映像性がある。
 
  後ろ手に鹿よけの柵閉めしのち小走りにゆく郵便配達
                          山縣みさを

 これもリアルな情景を簡潔に描き、動きが目に見える。
 
  乳がんと彫らるる文字に触れながらわが傷痕のしくしく疼く
                             小原文子

 河野裕子の歌碑にある文字。自分に引きつけて歌い、強い身体感覚が生じている。
 
  夕焼けを追いかけるごと二十代 西へ西へと移り住みたり
                            丸山かなえ

 美や理想を追い求めた青春期が見えてくる歌である。
 
  白い紙にへあへあくんと書いてごらん案外しゅっとした顔になる
                               片山裕子

 文字が顔の絵になる。「あ」が目。奇抜で楽しい歌。
 
  十六夜の月を海へと写しとる沖にゆくほど細かい筆で
                          立岡史佳

 細い波に映る月光を絵画的に歌う。金色を感じる情景。

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