百葉箱2023年6月号 / 吉川 宏志
2023年6月号
モビールは微かに回り続けをりねぢれを戻しまた行きすぎて
加茂直樹
細かいところを丁寧に描写し、たゆたうような時間を感じさせるのが優れている。
石巻を過ぎゆく車窓はまっすぐな光を受ける墓石からの
佐原亜子
震災の死者のまだ滑らかな墓石かもしれない。「まっすぐな光」に圧倒される感じがある。
本の冷え手に浸みてきてしばらくを膝に置きたりみぞれの朝
石井夢津子
手の動きを通して、本の冷たさを繊細に捉えている。「朝」は「あした」と訓むのだろう。
書架陰に蹲りいる人のおり 手に「抗癌剤」の本を握りて
倉谷節子
人の姿が具象的に描かれ、他者の苦悩を見てしまったときの心の痛みが伝わってくる。
火気あれば故人のもとに置いておけず喪主なる父を施設へ帰しぬ
中村英俊
蝋燭や線香など、通夜の場には「火気」が多い。淡々と歌われているが、哀感の深い一首。
スタンドを立てれば夜の自転車の後輪だけがしばらくまわる
垣野俊一郎
何でもない場面を歌っているが、臨場感があり、夜の疲労も感じさせるところがある。
冬至に冬至雑炊
比嘉道子
沖縄の言葉の響きが生きている。下の句も素直な表現の中に、寂しさが滲んでいる。
車列大きくふくらみて路上には形をなさぬ命のぬけがら
増田マサエ
車に轢かれた生き物をリアルに描く。原形を留めていない様が無残で、哀れである。
まな板に春が流れる玉ねぎのスライスの幅は少し乱れて
丘 光生
下の句の表現が巧く、玉ねぎの様子が鮮明に目に浮かぶ。
窓際に本読む妻は鉄橋の音響くたび川を眺めたり
鈴木健示
文体が簡潔な歌。妻の様子をよく観察しているところに、おのずから優しさが現れている。
工房の窓に見えしは軒つらら轆轤回せば壺起ち上がる
川森基次
結句で、陶土が壺になる瞬間がうまく捉えられている。窓からつららが見える描写もいい。
頼ること多くなりゆくこの日頃背中の釦はずしてあなた
松尾桂子
呼びかける口調を生かした結句がみずみずしい。
どうしても亀が爬虫類といふことを母に納得してもらへない
本田 葵
人を喰ったような奇妙な歌だが、常識が通じない不条理な感覚はよく分かるのである。
階層の比喩はいつからピラミッドそれはミイラの寝床であって
永井 駿
確かにピラミッドは、上に行くほど少ない社会の階層を表現するときによく使われる。元々は墓なのに、という皮肉が面白い。
選べないほうの未来が輝いて心は湖に映る月
ドクダミ
現実にならなかったことを、諦めきれず想像してしまうことがある。虚しい空想だが、それにより心は慰められるのかもしれない。下の句に不安定な美しさがある。
白飯のうへにしらすの騒げるを朝の喉
浅野 馨
しらすを食べているだけの歌だが、重々しい調子により、ユニークな味わいの歌になっている。動詞の使い方に工夫がある。