百葉箱2019年5月号 / 吉川 宏志
2019年5月号
雪の原につつ立つてああ何だらう髪の先からこほりてゆける
國森久美子
北国の自然の厳しさが、張りつめた強さで表現されている。「ああ何だらう」という呻きのような言葉が混じることで、かえって力が籠もる感じがする。
影踏みの鬼にとある日影踏まれ友は体に閉ぢこめられぬ
竹下文子
昔からの友人が急に病気になったという背景があるのだろう。運命の理不尽さ、動けなくなることを「体に閉ぢこめられ」と表現したことによる恐ろしさ。
蘇生法ながく続けし手を洗う流れる水は泡の多かり
北辻千展
医師の歌。蘇生法を続けても、結局は救えなかったのだろう。泡が多い、という何でもないことが、鮮明に目に残った。そのときの思いは読者にも伝わってくる。
友の絵を部屋に飾りて一日を過ごしてをりぬ目のオペ待ちて
河原篤子
目の手術をする前の不安感。そんなときは友の描いた絵を見て、心を落ち着けていたい。さりげなく、味わいのある歌である。
雪平鍋(ゆきひら)に茹でればひらくしじみから命は追ひ出されてゆくなり
千葉優作
下の句の表現がとてもおもしろい。これはやはり、しじみが最もぴったりくるだろう。下の句、変わった句またがりなのだが、内容的にこの違和感が生きている。
ニュースとは過去の話であることに言われるまでは気づかなかった
北山順子
「ニュース」と言っても、すべて過去のことが書かれている。当たり前のことではあるが、報道はどうしても事実の後追いになりやすいことを再認識させる。
諍える娘(こ)の置きゆきしハンドクリームアルミを剥げば面の滑らか
才田良子
事物を描写することで、諍いのあとの感情を表現した一首。「アルミを剥げば」まで細かく歌うことで、苛立ちや執着なども浮き上がってくる感じがする。
怒りとともに測る単位にされたのかロルフ・マキシミリアン・シーベルト博士
佐藤涼子
放射能の被害を表すときに使われる単位。それが人名であり、その人の名を呼んでいることに気づかされ、はっとさせられる。長い人名にインパクトがある。
壁こえて生きんとする音響き来る 朝を待つ故朝の来るらん
大喜多秀起
隣人の朝の生活音が聞こえた場面か。下の句は箴言的だが、自分に言い聞かせている感じで、ただの箴言とは違う深みがある。
掌に押せば米粒ひとつ浮きあがりこの世の母のセーター洗ふ
岡田ゆり
「この世の母」の語に、セーターを洗う機会も残り少ない、という哀切さがこもる。「浮きあがり」という描写で臨場感が出た。
一つ空きしベッドの窓辺に集まりて患者三人雪を眺める
北乃まこと
一つ空いたベッドに集まるところが味わい深く、心情の襞のようなものを感じさせる。