百葉箱2018年10月号 / 吉川 宏志
2018年10月号
清拭のタオルを母に当てながら打ち消してをり餓鬼草紙絵図
武山千鶴
痩せ衰えた母の裸身を拭きながら、餓鬼草子絵図に描かれた人間の姿を、つい連想してしまう。不吉だから、すぐに洗い流そうとするのだが、思い浮かんだものはいつまでも脳裏から消えない。どうしようもない心の動きを、具体的な場の中で捉えており、心に残る一首である。
胃の中でビールは発泡しつづける私はいかに死ぬのだろうか
杉本文夫
下の句は誰もが考えることだが、上の句にはっとさせられる。死は、物質に戻ることだ、ということに、改めて慄然とするのである。
反対の足に装具を着けてゐる鏡の我へと歩むリハビリ
金田和子
普段はあまり自分が歩く姿を見ないから、リハビリのときは、自分を直視することになる。装具を着けた自分ではないような自分に向き合ったときの、おののきのようなものが伝わってくる。「我へと歩む」という表現に臨場感がある。
この本がきみのかけらとなるようにブックカバーをかけて渡そう
吉原 真
好きな人に本を貸すとき、それが相手に影響を与えてほしい、と願うことがある。相手の一部になり、自分と共有するものになれば、どんなに嬉しいだろう。「きみのかけらとなるように」が、そんな切ない願いをみずみずしく描き出している。「ブックカバーをかけて」も良くて、中身を見せないことで、思いを伝えたい、というような心理があるだろう。
みな同じ歌集を手にしみな同じ頁を開く巣箱の歌の
近藤真啓
歌集の批評会である。見慣れた情景であるが、このように歌われると、不思議な行為のように見えてくる。「巣箱の歌の」という具体がよく効いていて、ページをめくる音も聞こえてきそうである。