百葉箱2017年8月号 / 吉川 宏志
2017年8月号
その子の話カウンターにて聞いている我も帰りの遅い母親
荒井直子
カウンセリングで、児童の悩みを聞いている場面だろう。母親の帰りが遅いことが話題になり、胸の痛みを覚えている。簡潔な表現の中に、共苦的なものが滲んでいる。
回転は一様ならず個性とはかほどのことか桜花ちる
川口秀晴
桜の散り方にも微妙な違いがある。そして気づく。人間の個性も、神の眼から見れば、こんなわずかな違いではないのかと。思索的な一首。
ペン先を浮遊させつつ自分宛て返信封筒かき終へにけり
越智ひとみ
よくある場面だが、自分の住所を他人のために書くというのは、どこか不思議な行為である。上の句の「浮遊」にその感覚が表れている。
手数かけ旨みひきだす鰹節アジアの娘らの助けをくはへて
新川哲朗
現代では、伝統産業も海外からの若い労働力に頼っていることが多い。そんな社会の断面を、具体性の強い表現で歌い、印象的。「くはへて」に複雑な思いがこもっている。
ないものは出せない例えば元気とか黒い帽子を指でまわして
藤原明美
体調が悪いときの歌だが、リズムには勢いがある。そして「黒い帽子」の存在感が豊かだ。
薄れゆくきみの端っこ握りしめ覚むるうつつに名残の月よ
萩原璋子
もう会えない人と、夢で逢えたのだろう。「きみの端っこ」が痛切。結句の「名残の月よ」が、やや付き過ぎなのが惜しいところ。
思いつくことから話す自撮り棒を持つ人減った気がするねとか
椛沢知世
会っている相手と、何を話せばいいかの分からない、初々しい思いなのだろう。下の句、確かにそんな気がする。そこに臨場感が表れている。