八角堂便り

田舎暮らし断簡ー歌の底ひ⑩ / 池本 一郎

2017年8月号

  ほろほろと卵を砂に産み埋め海亀に子と遊ぶ日のなし       高安国世 
 『砂の上の卓』(昭32)の後半の歌。「産み終えてあえぎつつ海に帰りゆく海亀の眼の涙を写す」と二首並ぶが、記録映画であろう。日和佐の浜ならアカウミガメ。100~140個を30分で産む(眼に涙して)。子を見ず海へ帰る。
 先日、鳥取・岩美の浜で、網に掛り半年保護飼育されたアオウミガメが海に放たれた。上村二三夫「次々に別れを言いて甲羅撫で励ましながらウミガメ放つ」(地元新聞歌壇)。亀は5~10歳の雌。親や子を知らぬ絶滅危惧種の行く先を案ずる。「甲羅撫で」がとてもいい。
  すぐそこと言われて通る麦秋の行けどもゆけども畑中の道      進藤多紀 
 『晩夏』の一首。気持ちとしては「呼んでいる誰かが遠くで呼んでいるれんげ畑のま昼のひかり」とよく通じあう。
 私の近所の倉吉市郊外に広大な麦畑がある。キリンビールの創業者の一人の出身地でビール麦が契約栽培されている。5月末、濃く黄熟し、行けど行けど遠く遠くだれかが呼んでいるよう。カラスが飛べばゴッホの絵。心身や世の束縛が消失し、気宇闊達となる。すばらしい環境はよき力を醸し出す。創作や将棋などもいいはず。私はバンを乘り入れて選歌を試みる。量も質もなかなかいい。近年場を選ぶ大切を知った。一面のアカシアの花の下とか若竹のそよぐ竹林とか。
  初めての選挙で知ったこと一つ投票用紙はえんぴつで書く     松田梨子 
 朝日新聞歌壇。18歳で初めての選挙、投票。えっ鉛筆で書くの、こんな大事な絶対の意志を。消せばすぐ消えちゃう、小バカにすんなよ、という感じ。(選管に電話で問うと担当者は案の定解らないと言う。またか、もう結構。)
 鉛筆は消去可能―小島ゆかり「鉛筆で書いては消してどうしても鴉に見えぬ鴉を描きぬ」(『馬上』)。多用途―谷本史子「机の色になりたる螳螂を鉛筆でつついて遊ぶ夜半のしばらくを」(『川をわたって』)。私は正統的な鉛筆派。万年筆派は、黒瀬圭子「あと少し共に闘ふ万年筆あをきインクのはつかに香る」(「塔」5月号)などやや運命的か。
  金亀子擲つ闇の深さかな  
               高浜虚子
  窓のした緑に輝(て)るを拾いたりうちがわだけが死ぬコガネムシ
                          吉川宏志『鳥の見しもの』
 虚子の句は昔は毎晩経験した。最も闇の深い五月闇へ力まかせに擲った。吉川作は独自の把握と表現に驚くが、甲虫類に固有の死の様相をよく描いている。
 歌誌「新樹」(17年夏号)に井口世津子が「カナブン」と題して、森岡貞香や佐伯裕子や私の歌を引いている。「カナブンの行動は完全な昼行性で、夜の明りに集まるものはカナブンではなく、正確にはドウガネブイブイ」「今回初めて知る」。私も虚子句を、今も夜と考える。

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