八角堂便り

清濁のこと / 真中 朋久

2024年4月号

 二月号特別作品の、染川ゆりさんの作品に、〈「しまぎではなくしまきあかひこ」そこをまづ先生に正されて始まる〉というのがあった。ずいぶん前に、誰からだったか「ほんとうはシマギ」と言われたことがあって、わざわざ言うならばそうなのかと思っていたのが、そうではなかったのか。
 「アララギ」の昭和十九年九月号の「童馬山房夜話」に齋藤茂吉は「〇島木赤彦」と題して書いている。「どう發音するか、シマギか、シマキかといふことであつた。そこで私はシマギと答へて置いた(中略)然るに世間にはシマキと清んで發音する人は幾らも居る」として、あれこれ論じている。茂吉は「シマギ(濁音)」派。同様に濁音で発音しているのは土屋文明や古泉千樫、中村憲吉の名を上げる。いっぽうで「シマキ(清音)」で発音するのは土岐善麿、五味保義、佐藤佐太郎。「赤彦のことを好く知らない人は、東京では大概の人はシマキと発音するやうである」とも書いていて、自信たっぷりである。「好く知らない人は」と「東京では」は並列なのか。
 茂吉としては、断乎として「シマギ」としたい様子なのだが、しかし、続く十月号では、赤彦の弟子筋や親戚などの近しい人が「シマキ」というからには「これも亦否定するわけにはまゐらない」と書く。そうして並記を提案しながら「國語の習慣上Simagiの方を先にするのが順当」などと、なお言っている。どういう習慣なのか。往生際がよろしくない。
 茂吉説にしたがって、当時の文学辞典の類に「しまぎ」のルビが振られていたり、現在でも、たとえば「青空文庫」は「しまぎあかひこ」を採用している。
 もとより筆名だから、親戚がどう言っているかというのは決定打にはならない。本人が「かな」で署名したり、署名にルビを振ったりしたものが出てきたら解決するのだが、本人も「しまぎ」か「しまき」か無頓着であったらしい。パスポートをつくって外国に出かけるとか、英文の書類に署名するような機会があったら、否応なく決めなければならなかっただろうけれど。
 「シマキだよ」と言われれば、文章はそのように書くけれど、一度馴染んだものは、なかなか抜けない。
 そういえば、私は茨城県出身で大阪府の茨木市在住。「イバラギケンとイバラキシでしょ?」と言われるが、いずれも正式には清音の「イバラキ」。イバラキシは困らないが、イバラキケンは、なかなか発音しにくいから「イバラギケン」になりがち。あえて「イバラキケン」というのは、いささかキケンでもある。
 古い「アララギ」も国会図書館のデジタル資料で読むことができる。恐ろしいことに「資料が手元にありません」という言い訳ができなくなってしまった。

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