安寧禁止 / 真中 朋久
2023年2月号
「国立国会図書館デジタルコレクション」が充実してきた。人手がかかることで、予算のほうもかなりの規模になるだろうが、紙の資料の劣化も進むから、情報を残してゆくためには、デジタル化は、おそらくはほぼ唯一の解決策だ。
著作権が残っているものについては閲覧の制限があるが、古いものはインターネット経由でも自由に読むことができて、暇なとき(というのは無いのだが、目下の仕事から逃避したいようなとき)にあちこち覗いている。
先日、タイトルに惹かれて何の気なしに開いてみたのは福田米三郎『掌と知識』(1934年)という歌集。いわゆる「ガリ版」印刷である。何ページかめくり、表紙に戻ると「申報」「安寧禁止」、そして扉・見返しである部分にも「安寧禁止」のスタンプが押してある。後に一冊本の『福田米三郎全集』(福田米三郎研究会編、1980年)が出ていて、その年譜によると、奈良県警で取り調べを受けて発禁処分となったとある。「安寧禁止」というのは、おそらく「安寧(を乱すから発行)禁止」ということだろう。これはいわゆる「発禁」(「発行禁止」または「発売頒布禁止処分」)の一部なのか、警察内部での言い換えなのか。「申報」も見慣れぬ用語だが、警察用語で現場(警察署など)から本部への報告ということであるらしい。「発禁」ということの実際を、こういうものを手がかりに、考えたり調べたりしてみるのも有益だろう。
こんな歌が並んでいる。
生れるから首にあつた太い綱 戦場へ續くそれを まざゝゝ言はれる迄忘れてゐ
た迂濶さ
戦友 そんな名で呼び慣れて お前と俺は 一緒に れる
殴る痛さを感じまいと 俺は ビシゝゝとなぐり始めた
ところどころ、文字が抜いてある。「×」印などを使って、これみよがしに伏字するのではなく、空白にするのは、目立たなくするための戦術なのか。二首めの結句は「殺される」であるらしい。
どの部分がいちばん「安寧」に抵触したのか。抵抗を扇動するようなものではなく、初年兵だったときに殴られたように初年兵を殴るとか、むしろ心が折れてゆくような苦い現実が痛々しい。
『全集』には『掌と知識』以前の作品、のちに戦地での兵となってからの作品も見渡すことができる。戦地に行ってからの作品は、ある種〈ふっきれた〉感じにもなって、それはそれですがすがしい。福田の名は、軍歌「皇軍大捷の歌」の作詞者としていっとき知られるようになったけれど、復員して間もなく病没。ほぼ埋もれた歌人ということになるだろう。
デジタル化をきっかけの〈発掘〉や〈再評価〉というのも、これからいろいろありそうだ。