八角堂便り

河野裕子の歌の読みについて / 花山多佳子

2024年2月号

 昨年の京都の全国大会で「河野裕子の読み」についてお話させていただいた。時代を経て河野裕子の歌の読み、評価が変わってきたことについて、である。
 最近、古い雑誌を整理していたら「短歌研究」の2005年4月号で「私の中で評価が大きく変わった歌」という特集があって、そこに河野の文章があるのを発見した。この特集では、
① 高い評価がその後それほどでもなくなった
② それほどでもなかった評価が高くなった
③ それまでも高かった評価がさらに高くなった
という歌をそれぞれ一首あげて書くというものである。河野はその①に、
  雑草もめでたき花を高々と空にかかげてはばからず咲く
                           九条武子
 
をあげている。この歌は河野の母の君江さんが、折々つぶやくのを聞いて、物心つくころから覚えてしまったという。短歌というものはこういうものだと刷り込まれた歌だと。この文章でおもしろいのは、のちに評価が下がった、とは書いておらず「果たしてこの歌がいい歌なのかどうかは分からない。ひとつ言えることはわたしの歌の根っこにこの歌の面影と韻律が消しがたくあるということである」と結んでいることだ。
 ②は、
  おしなべて境も見えず雪つもる墓地の一隅をわが通り居り
                            斎藤茂吉
 
をあげる。二十年前にはこの歌の良さがさっぱり分からなかったが気になっていた歌であると。「無内容といえばまことに無内容な歌。何かを言おうとしないことが短歌という詩型では言うことよりもはるかに多くを語るということ。」と書く。
 ③では、
  牛と驢が騾と驢が馬と牛が曳く車つづきて絶えざる朝の市
                            土屋文明
 
をあげる。土屋文明の『韮菁集』について「こんなに明晰な、しかも散文的な歌集は初めてだった」と言い、自分も先頃インドに行って「埃と騒音のなかで馬も騾馬も野良牛も人間も同じ次元のなかで一緒くたになっていた。雑多、混沌、強烈などいくらことばを並べてみても及ばないことを思いしらされたからである」と書く。むろん書かれていることだけが理由ではないだろう。この散文的言語感覚のラディカルさが、短歌になじんだ河野に刺激的だったことは想像に難くない。
 河野の読みの変化の一端がわかる三首だが、①の歌が自分の根っこに消しがたくあることを河野は否定しない。「雑草も」「めでたき」「はばからず」と、意味は露骨だし心情もベタの歌だから、うっちゃることは簡単である。でも歌の良し悪しにかかわらず自分に沁みこんだ歌、自分にとって何か忘れない歌というものがある。それが短歌というものでもあろう。

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