八角堂便り

土屋文明の歌碑 / 小林 信也

2022年8月号

 群馬の実家に帰った際に高崎市にある群馬県立土屋文明記念文学館に立ち寄ってみた。県立の文学館なので企画展は幅広いテーマで行われているが、常設展示はほぼ土屋文明の事跡に限られているので、じっくり見ていくとかなりの時間、土屋文明に〈浸る〉ことができる。
 この文学館は一九九六年開館だが、その年の塔の伊香保全国大会では、ここで、疎開中の文明と交流のあった原一雄氏の講演があった。原氏は、私も会員になっている群馬の結社「黄花」の主宰であった方で、このことは同年私が塔に入会する一つのきっかけにもなった。
 館内には、南青山の文明邸から書斎が移設されてあり、そのテーブルにはカップに入った紅茶やカステラが置かれている。かつてこのソファに古賀泰子さんも座られたのかと思うと感慨深い。
 さて歌碑である。文学館の庭には、生前唯一公認されたという歌碑がある。
  青き上に榛名をとはのまぼろしに出でて帰らぬ我のみにあらじ
                             (青南集)
 歌碑では「永久の幻」の表記だが、この歌は私にとって文明第一の歌である。時代も環境も違うが、山の裾野から世に出るにあたっては「永久に帰らぬ」ではなくても何か訣別の思いはあった。少なくとも半世紀前、私が高校を卒業した時の感慨はこれに通じるものがある。
 群馬には他に三つの歌碑があり、また、栃木、埼玉にも有るという。
  亡き後を言ふにあらねど比企の郡槻の丘には待つ者が有る
                           (青南後集以後)
 埼玉県比企郡の慈光寺の墓所にある歌碑。「待つ者」とは長男夏実と妻テル子。現役の歌人として百歳の長寿を全うした文明には、子や妻が待っているという意識は強くあったのだろう。
  子持山若葉の時に吾は来て山草をむ手に余るまで
                         (自流泉)
 昭和五四年建立のこの歌碑(表記は大分違うのだが)は、なんと子持山が見える国道沿いにあるとのこと。「農免農道開通記念」と銘打たれていて、どうやら事後承認のものらしいという。歌碑に対する歌人の思いは、一般にはなかなか理解して貰えないものかも知れない。
 文明の歌碑は鳥取にもある。倉吉市国分寺歴史公園にあるのはこの歌。
  歌一つ残ることなく此の国に四年の憶良さまざまに思ふ
                          (続々青南集)
 山上憶良伯耆守赴任一三〇〇年を記念して平成二九年に建てられたもので、憶良の有名な「瓜食めば」の歌碑と並んでいるという。建立委員会の委員長として池本一郎さんのお名前もあり、ここもぜひ機会を作って訪れたい場所である。
(群馬、栃木、埼玉の歌碑の情報については土屋文明記念文学館HPの「特別館長日記」に依りました。)

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