八角堂便り

雨の歌など / 山下 洋

2024年6月号

 別に「身をようなき者」と思ったわけではないのだが、よんどころない事情で、GW後半、関東に出向くことになった。空いた日が一日できたので、かねてから行きたかった三浦半島の突端に向かった。
  雨はふるふる城ヶ島の磯に
  利休鼠の雨がふる
        
           「城ヶ島の雨」
 もちろん北原白秋の詩碑が見たかったのである。ところが生憎、とんでもない好天気で、利休鼠の片鱗もなかった。仕方がないので、「雨がふります雨がふる」や「あめあめふれふれ母さんが」など白秋作詞の童謡を歌って気を紛らわせていると、雨を詠み込んだ詩句が次々に浮かんできた。その一端を書くことにする。
  馬鈴薯のうす紫の花に降る
  雨を思へり
  都の雨に

        石川啄木『一握の砂』
 ジャガ芋の花が咲くのは五月頃。美しい花だ。啄木のすごいのは、畑などなさそうな都会の真ん中で雨に濡れながら、その花の幻影を描いてみせるところだ。
  五月雨は緑色 悲しくさせたよ 一人の午後は
                        村下孝蔵「初恋」
 発表時、作者は三十歳(四六歳で夭折してしまう)。高校時代を思い出しての作か。一番の終わり近く「放課後の校庭を走る君がいた/遠くで僕はいつでも君を探してた」に単なる郷愁ではすまないほどのリアリティーが感じられる。
 この五月雨は、新暦の五月の雨だろうか。元来、旧暦の五月の雨、つまり梅雨が五月雨だった。
  時鳥ほととぎす鳴くや五月の菖蒲草あやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな
                          よみ人知らず『古今集』
 上句は文目あやめを引き出すための序詞。一首のなかに雨という言葉はないが、さつきは梅雨時。「あやめも知らぬ」には五月闇の雰囲気があり、雨の匂いがする。村下の歌詞もだが、雨には人恋しさをかき立てる力があるのかも知れない。
  うちしめり菖蒲ぞ香る時鳥鳴くや五月の雨のゆふぐれ
                          藤原良経『新古今集』
 その前掲の歌の序詞の部分だけを切り取って映像化して見せた。初句「うちしめり」のインパクト。ひとことでムワッ、ジメッとした梅雨時の空気感を現出させた。本歌取りの模範のような一首だ。
 最後は夏の雨。七月の旅だろうか。
  生は死の死は生のしたしみと津軽半島突端の雨
                   藤井マサミ 「塔」一九七六年十二月号 
 初句二句が五五、二音の欠落。読者は一呼吸置いてから三句へすすむことになるのだが、そこに意外な「したしみ」(親友といったところか)が現れる。
 重い詞も軽々と使いこなせる方だった。
 訃報が届いたのは昨年の暮れ。私が福知山マラソンを走ったとき、沿道に来て、大きな声で応援をくださった藤井さん。ありがとうございました。

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