下村光男の遺歌集『海山』 / 花山多佳子
2022年12月号
今年、下村光男の遺歌集『海山』が送られてきた。昨年、氏の訃報に接して、寂しい感慨に浸ったが『海山』をいただけたことは哀しくもうれしかった。
下村光男氏にはお会いしたこともなく歌集も読んではいない。でも、私が短歌を始めた昭和四十年代、角川「短歌」によく歌が載っていて、何となく好きで拾い読みしていた記憶がある。
河野裕子と同じ昭和二十一年生まれ、河野が角川短歌賞を受賞した前年の昭和四十三年に、角川短歌賞の次席になっている。その年の「短歌」十二月号がなぜか家にあって「学生短歌の新鋭短歌九人」のところに下村光男の歌が載っている。ここに河野裕子もまだ受賞前だが載っている。それはさておき、この特集の下村光男の歌にだけ〇印をつけているのを、いま発見してちょっとおどろいた。
魚のごと空ゆく雲やさてどこぞいきつく地でもあるというのか
〈養老の家〉そこにて落葉たくがみえふいにあつきがこみあげてきぬ
うみどりら啼かず荒磯を翔ちてゆき やがて太古のごとき落日
こういう歌が好きだったのか、と思うわけである。下村光男の代表歌といえば
ゆく春や とおく〈百済〉をみにきしとたれかはかなきはがききている
で、これは昭和四十八年の「遠いうたについての断片」十八首の中にある。「〈百済〉みにきし」はふしぎなフレーズで一連にはヒントもない。一連の最後は、
海ホテルとおく他界のごとく昏れけぶりたつ けぶりてゆかな一生は
「とおく」「とおい」が下村のキーワードで茫洋と遥かなものを思う歌だ。
当時、風靡した村木道彦もそうだが下村光男も文体派といえる。とくに意味内容は無く何でもないことを、燃焼よりは虚を、独特の調子でうたうところに私はハマっていた。都会的な村木とは対照的に、寡黙な生真面目さ、自然や古代への憧憬が特徴だった。
遺歌集になった『海山』は、三十代から七十代までの長い歳月を妻のきよ子さんがまとめられたものである。
タイトルはむろん釈迢空から来ていてやはり迢空をめざしていたのだと納得する思いで読んだ。
歌のこと飲食
蟬声もしずまり宿の裏の山、黒き一山
野の花に手は触れいたり往古より咲きつぎて来しことにおよびて
「清貧のさびしさ」がどこかあたたかく沁みる歌集でもあった。素朴で調べがふかぶかとしている。
虚心にてあれば見えざるものも見ゆ歌はたしかにほろびつつあり
こんな歌もあって胸を突かれた。