八角堂便り

初恋の歌 / 小林 幸子

2023年3月号

 二〇二二年十月に松戸市の初恋短歌大会が行われた。伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台となった矢切地区風致保存会が主催し第十七回目となる。高齢者から小学生までの初恋の歌が寄せられ、初恋にもおのずから時代が映し出されている。
  すれちがう渡り廊下でオハヨウと高二の君は吾にすみ初む
                              猪口 眞琴 
  おはようと朝の下駄箱で会えた日は心わくわく今日もいい日だ
                              掛川 礼鳳 
 渡り廊下や下駄箱で生まれる初恋。八十代の作者は「オハヨウ」と挨拶してくれた先輩に胸がときめいた。「吾にすみ初む」のひっそりとした憧憬が時代を表わす。中学生の作者は、好意をよせる相手に会えた日は「心わくわく今日もいい日だ」と嬉しさに溢れている。
 七十代の作者にはフォークダンスと初恋の思い出が結びついている。
  オクラホマミキサーもうあと一回り一回りせば君に触れなむ
                              髙田 明洋 
  気の遠くなるほど空の青い日よ君とはじめてジェンカを踊る
                              深沢 英子 
 一回りするごとに相手が代わる曲で好きなひとと踊れるか祈るような気持が伝わる。二首目は情熱的な作者が上の句に表れている。互いの気持は通じ合っているようだ。「ジェンカ」が明るく響く。
  どこまでも少し離れてついて来るあなたがわたしもほんとは好きで
                              北神 照美 
  ブダペスト芸術家っぽい君の写真Face bookは普段ひらかない
                              齋藤 航希 
 ストレートに恋心を伝えられない繊細な心が投影されている二首。七十代の作者の心の揺れは、入り組んだ語順にも表れている。Face bookは現代の初恋にかかせないツールだろう。「普段ひらかない」に作者の特別なひとへの思いがにじむ。「ブダペスト芸術家っぽい」というポートレートが想像を誘う。
  手袋で車窓を拭う渋谷駅発車のベルに高まる鼓動
                          近藤 クニ 
 駅での別れの切なさは昔も今も変わらない。見送られて電車に乗り車窓を手袋で拭う。硝子越しに見つめて手をふる様子が浮ぶ。印象的なのは渋谷駅のシーンであること、五十年ぐらい前の渋谷駅はまだ新宿駅に比べてひなびた駅だった。恋文横丁という路地があり、駅前のスクランブル交差点もない昭和の渋谷である。
  君の手のラムネの瓶のビー玉がカランと鳴って恋がはじまる
                              坂本 夏海 
 中学生の作者の歌、「ラムネの瓶のビー玉」は時代をこえてなつかしい。恋のはじまりのカランと澄んだ音が聞こえる。

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