八角堂便り

佐美雄の鹿たち / 小林 幸子

2017年1月号

 さわやかな秋の一日、奈良歌会の吟行に参加した。歌会の会場を確かめて散会、それぞれが奈良公園一帯を自由に歩く。
 私はまず坊屋敷の前川佐美雄の旧居を訪ねた。近鉄奈良駅から東向北通りを真直ぐ、奈良女子大に突き当たったら左へ曲がりすぐの「白井ファッション教室」と表札のあるお宅である。白井家は佐美雄の母の実家の姓で、母の妹の血筋にあたる人が継いでおられるようだ。
 白井家は代々興福寺一山の僧衣を調達する商家で、前川緑夫人が嫁いできたころ、すでに三百五十年位経った弁柄塗りの古い町屋であったという。表の入口は揚戸で夜は閂をさしたと記されているので、現在の硝子戸とは違うが、大屋根に煙抜きの小屋根がある母屋は建て替えずにそのまま残されている。広い庭は「坊屋敷モータープール」になって、そのとき屋敷の一部も取り壊されたのかもしれない。
 車を取りに行く人と一緒に駐車場に入れてもらい、木のてすりのついた二階もながめることができた。その人は前川佐美雄にも会ったことがあるという。
 階下には若い歌人や詩人たちが夜更けまで熱い文学談義を交した部屋があるはずだ。塚本邦雄も前登志夫も度々訪ねた。
 佐美雄は昭和八年、東京から帰住し、昭和四十五年茅ヶ崎市に移り住むまでの歳月をこの家に過ごした。東大寺も春日大社も近く、二条通りを若草山を目指してよく歩いただろう。その同じ道をたどり東大寺へ向かった。奈良公園に入るとたくさんの鹿に会う。かわいい子鹿を連れた母鹿や荒々しい牡鹿など、どれだけの鹿がいるのだろう。佐美雄は散策の道に出会う鹿に親密な感情を抱いて詠っている。
  遠雷のおとかすかしぬ丘の上の鹿はしきりに耳をうごかす       『捜神』
  浅き水にすすき風さとはしるさへ驚きやすく鹿の子のゐる         同
  苑のなかわれの知りをる鹿ひとつこの鹿も角を伐(き)られてみじめ
                                 『白木黒木』
  かつ憎みかつあはれみし片角(かたづの)のかの荒き鹿の冬いかにある      同
  わが知れる前(さき)のボス鹿憂(う)きごとく目とぢ枯れ葉の上に臥(ふ)しをる  同   
  気まぐれな鹿よと見をり朧夜の若草山をのぼりゆく一つ           同
 「遠雷」を聴きとめる鹿の耳の動きや「すすき風」にも驚く子鹿に佐美雄はやさしい眼差しを向けている。角を伐られた鹿のみじめな姿は傷心の自らにも重なるのかもしれない。角を一本失くした鹿を憎みあわれみながら、その鹿のすごす厳しい冬の日々を思いみる。群れをひきいるボス鹿の交代も佐美雄はじっとみつめていた。
 六首目、奈良を去る日も近づき、日暮れを惜しんで歩くこともあったのだろう。気まぐれな鹿に心を寄せて詠っている。若草山をのぼってゆく孤独な鹿のすがたが朧夜にうかぶうつくしい歌である。
                    *参考「日本歌人」一九九一年七月号 

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