百葉箱2016年12月号 / 吉川 宏志
2016年12月号
ゆるやかに涙が落ちてゆくようにあるのであろう頰のふくらみ
宇梶晶子
軽やかなユーモアの中に、哀しみが滲んでいるような歌である。余分なことを言わずに、口語で柔らかく歌っているところがいい。
名刺には二つの資格が書かれいてどちらもわたしを追い詰めてゆく
奥山ひろ美
「わたし」の名刺に、○○士のような資格が書かれているわけである。資格を持つことにより、責任感から逃れられない思いが生まれてくる。二つあることで、重圧はさらに強くなる。シンプルだが、仕事の実感がよく出た歌である。
病む妻に煮物ばかりを食はせゐるわれのかなしも 胡瓜も煮たり
若山 浩
あまり料理の幅が広くないのか、煮物ばかりを妻に食べさせていることに心苦しさを感じている。「われのかなしも」と自己憐憫に行くかと思いきや、「胡瓜も煮たり」と意外な結句に着地することで、ほろ苦い味のある歌になった。
秋の日はおのづと人は向ひ合ひどこかでグラス触れる音する
福田恭子
秋という季節のもつ人恋しさを捉えた一首。下の句は瀟洒な表現で、静かな寂しさが伝わってくる。
上にゆくエレベーターの数秒をナースはそつと肩もみてゐる
佐藤美子
患者の前では疲労を見せることができないナースが、エレベーターの中でふっと見せた仕草。仕事の厳しさとともに、ナースの誠実な人柄も見えてくるようだ。
水筒の氷が口に触れたとき作文のタイトル「海へ」に決めた
川又郁人
中学生くらいなのだろうか。みごとな表現力に驚いてしまった。上の句の具体性、下の句のはるかな世界へのあこがれ。新鮮な輝きをもつ一首である。将来が楽しみな新人がまた入ってきたなあと思う。