戯れ言バンザイ / 栗木 京子
2016年11月号
平田俊子さんの詩集『戯れ言の自由』(思潮社)が面白い。「戯れ言」は広辞苑に「ふざけて言うことば。冗談」とある。駄洒落や語呂合わせ、掛詞などの言葉遊びも含まれるだろう。言葉と戯れ、言葉と睦み合う。そんなスリリングでほのぼのとした熟達の詩二十八篇が収められ、どのページを開いてもニヤリと(時にはガハハと)笑うことができる。
例えば「犬の年」という詩。出番を待つ舞台の袖で「わたし」は「人」という字を手のひらに書いて飲み込むつもりが間違えて「犬」と書いて飲み込んでしまう。するとたちまち犬の世界にワープして、舞台で語る言葉がことごとく犬の駄洒落と化してしまうのだ。ちょうどこんなふうに。(一部を抜粋して紹介)
チビでもがんばるダックス奮闘。
お風呂が大好き銭湯バーナード。
ほめられたがりはポメラニアン。
暴力バーにいるのはボルゾイ。
何でも反対したがるチャウチャウ。
グレートデンは灰色都電。
土佐犬。/秋田犬。/シーズー岡犬。
ボクサー、あのさー、強いのさー。
こんなふうに自由自在に言葉を転がしておいて、ではこの詩の結びはどうなっているのかというと、
コーギート・エルゴ・スム!
この一行で、ピタリと収めている。「コギト・エルゴ・スム」はデカルトが「方法序説」で述べた言葉で「われ思う、ゆえにわれあり」の意味。文芸同人雑誌「コギト」はここから命名されている。
平田さんは伝統ある「コギト」に犬種のコーギーを掛けて、「コーギート・エルゴ・スム!」と詩の神様に呼び掛けたのだ。じつに見事である。体操男子の白井健三選手がひねりにひねりまくったのち不動の着地を決めた時のような爽快感。「金メダル!」と、思わず私は叫んだ。
また、詩人の伊藤比呂美氏に宛てて書いた「伊藤」という詩も印象深い。作風も風貌も対照的に見える二人だが互いに深い信頼で結ばれているのがわかる。
初めて会ったのは八〇年代の真ん中だった/伊藤は大きな赤ん坊を抱いて/デパ
ートの赤ちゃんルームにいた/おかっぱだった/やせていた/つり上がった目で
私を見て/伊藤比呂美ですときっぱりいった/平田ですと私はもそもそ答えた
冒頭のこの一連だけで伊藤さんの姿が彷彿とするし、二人の間を行き交った空気の色まで見えてくる。詩はこのあと伊藤さんとの交友を楽しげに語り、「好色な伊藤」「世話好きの伊藤」「せっかちな伊藤」などと続き、ついに「ポスト寂聴をねらっている伊藤」と来る。なるほど、ポスト寂聴か。いいなあ伊藤比呂美、いいなあ平田俊子、と私は拍手した。