百葉箱

百葉箱2016年9月号 / 吉川 宏志

2016年9月号

  小袖池が西日のなかにゆらめくを窓閉めてからもういちど見る
                               白水麻衣 
 「小袖池」が効いていて、情感がある。下の句は、さりげないけれど、夕暮れの美しさをずっと見ていたいという名残りが伝わってくる。直接見るのと、ガラス越しの光の違いにも、読者の想像は及ぶのである。
 
  黒田節を踊る写真の古りにたり酒の席にも真面目に父は
                            広瀬明子 
 どちらかと言えば地味な歌だが、こうした作も大切にしたい。宴会での出しものにも真面目に取り組んでいた父の哀しさが、淡々と詠まれていて心に残る。「黒田節」という具体が生きている。
 
  しんねりと弦の先まで拭いてゐた厚いレンズの眼鏡でしたね
                              坂 楓 
 これも亡くなった人の動作を回想している歌。「弦の先まで」拭いていた、というところから丁寧な人柄が感じられる。結句の口語がとてもよく、作者の淋しさが滲む。
 
  いきりたつ馬にするごと梵鐘をつく人撞木をなだめつつ揺る
                              平田瑞子 
 おもしろく新鮮な比喩である。たしかに揺れている撞木を押さえるときは、こんな感じだなあと思う。やや動詞が多いのが惜しく、結句の「揺る」は省略できるのかもしれない。
 
  舟津(ふなづ)より右へ折れれば細い道二回譲って二回譲らる
                             廣瀬栄里子 
 もちろん自動車に乗っているわけで、細い道をすれ違うときに譲り合うのである。「二回」の繰り返しがよくて、狭い道を走る実感が表れている。「舟津」から、海辺の小さな町が連想され、風景が目に見えるようだ。
 
  心臓の奥の心のスイッチを今日も夕日が押してしまった
                            佐伯青香 
 夕日に操られているような不思議な感覚がある。結句の「押してしまった」から、諦めや喪失感が、ふっと漏れたような印象を受けた。

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