八角堂便り

田舎暮らし断簡―歌の底ひ⑨ / 池本 一郎

2016年9月号

  コンビニのなかった頃を思い出しどうしていたのか思い出せない
 朝日歌壇・小杉なんぎん作に思わず膝を打った。さすが永田和宏選、他の選者は採ってはいない。
 コンビニは丑三つ時OK、郵便OK、食い物OK。わが身一つに必要不可欠のみでない。生活や暮らしが一変してしまった。本屋も兼ね机椅子まである。風や雪の避難所ともなる。
 同日の「天声人語」は「もはやコンビニなしの日本は想像しがたい。全国に5万数千店、毎月延べ14億人が訪れる」と書く。歌会でもローソンの歌などが出る。なぜ牛乳瓶の看板か、創業者が牛乳屋さん、この町に初めて開店した等々。
 芥川賞小説「コンビニ人間」の古倉恵子は36歳、未婚。大学一年でコンビニのバイト。以後18年間コンビニ勤めだけ。人並みの「普通」ができぬ私はそこで「世界の部品」となり異物でなくなる、マニュアル通り手際よくやれば自分らしく生きられるという。作者は36歳の村田紗耶香さん、「コンビニではやっていける」。買い手の我々と同様、売り手にもこんな人がいるのだ。村上龍の「十年の受賞作で最高」とは思わぬが。確かに過疎化する田舎でも(こそ)存在意義が大。
  永遠で普遍的なる存在を考へて人は時間が足りない
                           香川ヒサ 
 『ヤマト・アライバル』の一首。上句は難解だが、ごく簡単に〈完璧〉を期する思考形態とでも受けとめよう。事柄やその大小に拘らず、人はそういう傾向をもつ。明らかに美徳。だがそれで並みの(大多数の)人間には時間が足りない。
 落合優子「目分量信じて焼いたパンケーキこんな感じで始めてみたら」(みずたまり75号)。初めはレシピと首っ引き、やがて目分量でやれる。その寛ぎや拘りなさが楽しく好結果をうむ。始めもかくあれという。いい加減ではない。農業だって草取りだって。福井陽子「夫は言う目立つ草から抜いていけ端から掘り取る私を笑う」(歌会)の夫は、やはり○○○都会からの移住者。成程「目立つ草から」か。農民はそうはいかず、完璧を期す。
  川下へ向けて舫へり薄雪に舟の休むは待つといふこと
                            大寺龍雄 
 『草の火』より。岸に舫う川舟。次に積む人や荷を雪の中で待っている。舟の休む姿は出番に備え待機する積極的な意味をもつ。「待つ」とはそうなのだ。
 久岡貴子「辻々に提灯あがる昨日まで待つのが祭りと言ひし祖母あり」(塔)の「待つ」もそうだ。驚いた。子どもの「もう幾つ寝るとお正月」と同じ、「待つ」のが祭りで、当日はもう後の祭り。そうか「待つ」は無為無駄な時間でなく、充実した楽しさだったのだ。沼尻つた子「錆びし螺子ころがりているこの家のどこかに螺子を待つ穴のあり」(塔)の「待つ」も少し様相は違うが面白い。

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