百葉箱2016年6月号 / 吉川 宏志
2016年6月号
流れ来し人を抱きているようなピエタの前に思う三月
西川啓子
「ピエタ」とは、十字架を降ろされたイエスを、母マリアが抱いている姿を描いた絵画のこと。さまざまな画家が、数多くの作品を制作している。どこかの美術館で、作者はその絵の一つを見たのだ。三月であったため、津波で亡くなった人を抱く母のようにも思えたのであろう。静かな韻律の中に、追悼の思いを込めた、印象深い一首である。
靴屋の君の選びくれたる一足で君の通夜へと我が歩み行く
加藤武朗
事実のみを簡潔に歌っているが、悲哀の響いてくる歌である。君の選んだ靴の中には、君の魂がまだ存在していて、共に歩いているような感触がある。「君」が重複して使われているが、これで良いようだ。「君」への思いがそれだけ強かったのだ。
鼻吸い器つかうとき子を押さえつつああ鼻の孔にも成長の見ゆ
吉岡みれい
子が育つにつれ、「鼻の孔」もしだいに大きくなっていくのだ、という発見がおもしろく、実感もある。「子を押さえつつ」という動作も生きている。鼻に入れられるのを子は嫌がっているのだろう。
広辞苑最後のワードは「んとす」なりこの先ずっときっと「んとす」
小山美保子
ちょっとびっくりする楽しい歌。「んとす」は「……しようとする」の意味。「この先ずっときっと」には、やりたいことはあるけれど、未完で終わるだろう……という諦念が潜んでいるのではないか。ユーモアの中に寂しさがこもっている。
医師を呼ぶ次は醒めない量になるモルヒネ頼む午後十一時
身野佳奈
この量を使えば、二度と意識は戻らない。しかし、痛みを抑えるために使うしかない。ぎりぎりの決断を、ぶつぶつと切れる文体で歌っていて、臨場感と切実さがある。