短歌時評

東日本大震災から五年 / 花山 周子

2016年5月号

 「歌壇」三月号の特集座談会「震災詠から見えてくるもの」(小島ゆかり・梶原さい子・本田一弘・斉藤斎藤)で梶原さんが次の歌を紹介していて衝撃を受けた。
・腐敗して膨れて目玉も飛び出して あの子がいったい何をしたのか
                                千葉 由紀 
 作者は石巻の学校の先生で、もともと歌をつくっていたわけではなかった。けれど、震災の数か月後、突然歌が何首もできたのだという。以降の二〇一三年までの六十九首と数句が日付や詞書とともに横書きで私家歌集『境界線』にまとめられている(※在庫が既にないが、国会図書館に入っている)。あとがきに印象的な言葉がある。
 (略)彼ら(子どもたち:筆者注)の無残な最期の姿を言葉で表すのには、非常にためらいがありました。彼らを冒瀆しているような気がするのです。ですが、彼らの最期の姿は、『死』が決して美化できるものではないことの証明だとも思うのです。
 このような決意なくしてはこの冊子はまとめられることはなかった。けれどまた、実際にこの集に収録されている歌は、「今はまだ無事、しか言えぬ状況で それでも届け送信ボタン」など、状況や思いが標語的に処理された歌がほとんどだ。掲出歌のような、具体的な「最後の姿」の描写は二首にとどまっている。寧ろ、たった二首であっても、あとがきでこのように記さずにはいられなかった、そのことに思い当たる。この歌はやっとの思いで詠われている貴重な一首なのだ。そして、多くの人が抱えていることの、歌は氷山の一角に過ぎないのだ。あと二首紹介したい。
・シートくらいひいたんだよねと怖々と床を撫でたる生徒と語る
・宿題が多いと口をとがらせてがれきの中を帰宅する子ら
 震災後の生徒たちの日常の姿が丁寧に掬い取られていて、印象深い。
 昨年十一月に刊行された吉川宏志時評集『読みと他者』は、〇九年から十四年までの吉川の時評を中心にまとめられたものだが、単なる時評集にとどまらず、特に震災以降、歌人自らの立ち位置を問い直す歌人論としても厚みのあるものになっている。十二年末に書かれた「言葉と原発」では、昨今のネットなどで蔓延していく言説の「ワンフレーズに惑わされてしまうのは、文学における想像力が弱まってきているからなのではないか。」と指摘し、「私たちは自分の言葉を回復しなければならない。」と言うのである。また、吉川はこの本の中で繰り返し「多様」であることの重要性を説いている。
 冒頭で紹介した座談会では本田一弘が「今回の震災で、自分の表現者としての立ち位置が明確になったかなと」と述べているのも印象的だった。彼が指摘するように、座談会では、「それは(震災を歌うこと:筆者注)私が決めるのではなくて、歌がどのくらい歌わせてくれることかなと思っています(梶原)」「私だったら福島という土地をベースにして(略)死ぬまでなまり・・・ながら短歌を歌っていきたいと思っています(本田)」「震災に関しては、『われわれ』として歌ってもらったほうが救われる人と、それでは救われない人に分かれると思うんです。私の担当としては、救われない人の方ですね(斉藤)」「無理をして『震災を忘れちゃいけないのよ』みたいな歌は絶対に作りたくない。自然に深めていったなかで、そこに心が行ったら、その歌を作りたい(小島)」と、メンバーそれぞれが、表現者としての自身の立ち位置を率直に語り合っていて大変読み応えがあった。一度向き合ったものに向き合い続けることが「自分の言葉を回復する」唯一の道なのかもしれないと思った。

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