短歌時評

体験を深める/人生で戦わない / 浅野 大輝 

2023年8月号

 短歌の新人賞なんか絶対に取り上げてやるものか。注目度もあり、一度に掲載される作品数も多く、それなりの分量で選考座談会も同時掲載しているから、探せばいくらだって論点が見つかるわけで、時評を書く人間には好ましいことこの上ないが、だから色んなところで色んな人が言及するわけで、そこに入っていってそれっぽいことしゃらしゃらっと書く、できたやったあみたいな。やったあじゃない、他の奴と似たようなことして何が面白いんだそんなもん。ぜってえに取り上げねえぞおれは――と思って時評を書いてきたが、締め切り超過で原稿白紙、心身も不調とかになると、いいよねという気分にもなるわけで、つまり今回は新人賞を取り上げます。いま皆さんは一人の人間の敗北を見ている。
 「短歌研究」二〇二三年七月号にて第六十六回「短歌研究新人賞」の発表が行われた。受賞作は平安まだら「パキパキの海」。次席には古井咲花「ナイトブレンド」が並んだ。
  やらされるエイサーだった秋空に子どもの俺は写真のなかで
                         平安まだら「パキパキの海」
  熱風ロウリュ満ちる小屋を飛び出し湖うみへ沈む 死への恐怖は怒りに近く
                         古井咲花「ナイトブレンド」
  エレベータ・ガールと呼ばれ なんだろう そんな感じの声で話した
                        石田犀「エレベータ・ガール」
  汚れてもいいスーツとう無茶振りがすっ飛んでくる雨の選挙は
                         吉村おもち「わたしこそ水」

 抑制したフラットな文体に沖縄で育った経験を載せた平安作品と、フィンランドへの滞在を通じて自身と他者の文化を見つめた古井作品という、おそらくは作者それぞれの体験に影響づけられているであろう作品が上位を占めた。候補作以下でも石田作品や吉村作品など体験がベースにあると感じさせる作品が多く、また同時に各作品で語られる体験のそれぞれが独自で多様性に富んでいた。
  斉藤 (…)はっきりした傾向は感じませんでした。やろうとしていることが細
  かく分かれている感じで。(…)
  米川 明らかなテーマ性で迫ってくるものが少なくなって、すごくじりじりとし
  た一人一人がそこにいる。(…)
 選考座談会から斉藤斎藤と米川千嘉子の発言を引いたが、ここでも応募作品に多様性があったことが語られており、こうした傾向は素直に喜ばしいと思う。同誌二〇二二年七月号の「新人賞受賞者のアドバイス・エッセイ」や、時折総合誌にて掲載される新人賞対策特集には薄ら寒いものを感じてならなかったが、そこで念頭にあったような賞のための単純な傾向と対策を超えたところ、本当に応募者それぞれが感じ表したかったところに向かった作品が多かったのではないだろうか。
  一首を作ることによって自身の体験が深められるのでなければ意義がないではな
  いか。                     佐藤佐太郎『純粋短歌論』

 作品にあらわれてくるのは作者にまつわる事実そのものではないが、少なからず作者の体験が反映された声である、ということを思う。社会全体における情報の消費が加速し、新人賞のような目覚ましい成果でもほんの数ヶ月で意識から抜け落ちてしまいそうな状況にあって、なぜ作品をつくるのかといえば、それはつくることを通じて体験を問い直し深められる点に意義があるからでもある。
 もっとも、創作を通じて自身の体験を深めるということが、少なからず作者自身の人生経験と作品の質とを結びつけようとする発想と親和することには注意が必要だろう。人生経験と作品の質は一致しないし、人生を戦わせるべきではない。体験を深めていくことと、人生を戦わせないこと。そのバランスが今後も新人賞には求められるのではないか。

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