短歌時評

やさしき土 / 小林 真代 

2024年5月号

 「短歌研究」二〇二四年三月号の特集「能登、北陸の歌人たちと作る短歌研究」は、このタイトルにまず引きつけられた。震災について、短歌はこういう迫り方、表現ができるのだなと思った。企画の段階から能登、北陸にゆかりのある歌人が参加したという。短歌作品のほかに、土地に関わりのある歌人についての文章なども寄せられ、能登、北陸への思いがあふれる。
 七尾市に生まれた三井修は「能登が生んだ二人の歌人――岡部文夫と坪野哲久」を寄稿している。岡部文夫(一九〇八―一九九〇)、坪野哲久(一九〇六―一九八八)、二人とも石川県羽咋郡高浜町(現・志賀町)に生まれ育った。生年も生地も近い二人は短歌によって出会い、生涯に渡って親交を保った。
 岡部文夫の能登の歌といっしょに、三井は岡部の歌集『能登』の後記から「北陸に土着の者にしか作れない作品」という箇所を引いて、それが岡部の作歌信条であったと書く。震災詠というかたちではあるが、この特集では「北陸に土着の者にしか作れない作品」に多く触れることができる。そのなかには文字通り「土」を詠んだ歌も見られる。
 「能登はやさしや土までも」ということばを私はこの特集を読んで初めて知った。このことばは、能登は人がやさしいのはもちろん、土までもやさしいということで、能登の人の素朴であたたかい人柄を表すという。このことばを詠んだ歌が寄せられているので三首引く。
  土までも優しと言はるる能登の地の深き亀裂にまた雪の降る
                        浅野真智子「能登はやさしや」
  その土を「能登はやさしや土までも」揺すりやがって地球のバカヤロ
                     堀田重則「高松・穴水・羽咋・七尾」
  能登のはな娑婆捨て峠の雪割草やさしき土割り咲かむ必ず
                     平井昌枝「能登はやさしや土までも」
 一首目は小松市の方。大地震で深い傷を負っても降る雪をなお受け止める土。それを見つめる人も同様に痛みや雪を受け止めている。二首目は福井市の方。悔しさ、怒りを地球にぶつける表現は激しいが、土も被災したという捉え方に胸を打たれる。三首目は金沢市の方。この特集では雪割草もよく詠われている。春を待つ気持ちは復興を待ち望む気持ちと重なる。そして春も復興も土があってこそだ。
 岡部文夫、坪野哲久にも能登の土の歌があるか、『現代短歌全集』(筑摩書房)に収録されている歌集を読んでみた。
  柔かに吾を支へてこばまざりしふるさとの土を恋ひおもふなる
                               坪野哲久『桜』
  能登ぐにのやさしきつちをおもふゆゑ身に沁みにけり霜万朶しもばんだの声
 土を恋ひ、地をおもふ。土に親しんできた人ならではの感慨だろう。一首目は擬人化と読めるが、それよりもっとまともに土と向き合っているように私には思える。あるいはふるさとの土とは、そこに暮らす人そのものであるかもしれない。
  水電気無しと伝える声おだし能登びと怒ること少なくて
                           三井修「竜が頭を振る」
 この特集で発表された新作作品から。「能登はやさしや土までも」を知って読むと、能登の人のやさしさが思われて一層切ない。ライフラインの断絶はしんどいはずだが、あまり愚痴など言うこともないのだろうか。
 釈迢空と折口春洋が眠り、万葉集に多くの歌を残す能登、北陸。私はこれまで縁がなくてよく知らなかったが、今回の特集で能登を詠んだ歌のなかに土への愛着の深さを知った。今の困難を耐える風土がその土とともに培われてきたことも。この土が守られてほしいと心から願う。震災詠は震災を伝えるだけではなく、その土地と人を伝える。そんなことを思いながら私はこの特集を読んだ。

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