短歌時評

限界 / 浅野 大輝

2023年1月号

 二〇二二年十一月、プロジェクト「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」により「セクハラ問題に関する要望書への回答」がWeb上で公開された。これは全国の俳句・短歌・連句に関連する三二五団体(俳句二〇五団体、短歌九〇団体、連句三〇団体)に対して、プロジェクトとして次の二点の要望を行った結果の報告であった。
(1)「ハラスメントを許さない」という方針を明確に打ち出してください。口頭ではなく書面化し、会員に徹底周知してください。
(2)相談窓口を設置してください。実際に問題が発生した場合、団体内で相談できる専門の窓口を設定してください。
 二〇一九年より活動し、クラウドファンディングで一二一人からの支援を受けた本プロジェクトの集大成とも言える要望書の提出であったが、結果として回答があったのは十七団体(約五・二%)、短歌に限れば六団体(約六・七%)に留まった。この結果についてWeb上では様々な意見が飛び交ったが、多くの団体による「無回答」が並ぶ結果に少なからぬ人が衝撃を受けたようであった。
 時評子にとっても嘆息を禁じ得ない結果であり、各団体においては健全な活動のためにも是非それぞれの行動規範や対応を明示していただきたいが、一方でこれはハラスメントについての無理解という問題だけでなく、より広く現在の詩歌に関連する団体の〈限界〉を示しているものではないかとも思われる。
 第一に、「無回答」が並ぶ背景としての各団体における人的リソースの不足という〈限界〉があるように思われる。たとえば中島裕介は、角川「短歌年鑑」の令和四年版と平成二四年度版に掲載されたデータを比較し、十年間で短歌結社等に所属する会員数が四万人から二・四万人に減少し、会員数百名以上の団体数が一二五前後から八五前後に減少したと指摘している(「[試験に出ない短歌の数字]2012年→2022年の短歌結社の会員数」)。また光森裕樹は二〇〇九年から二〇一四年にかけての短歌結社数の減少を報告すると同時に、会員の高齢化を危ぶむ声を複数紹介している(「短歌結社の5年を数える」)。会員数減少と高齢化の傾向のなかで、要望にある明確なコミットメントを果たせる組織的体力が各団体にあるのかは正直疑わしい。「無回答」の裏には、こうしたリソースのなさに起因する事なかれ主義も見え隠れする。
 また団体運営を行う者全員が常に自身の認識を更新し続けられるわけではないという第二の〈限界〉もある。要望に対する回答には、「発足以来そのような事例はございません」(小徑)、「長老と呼ばれる人格者がおりますので、個々に何か問題があれば常にその方が円満にコトを処置してくれます」(ともしび)など、ハラスメント対応に関する認識として中々ショッキングな回答も見受けられる。似たような認識は、実は「無回答」の団体からもまだまだ出てくるのではないか。
 そして第三に、こうした〈限界〉は全員のそばに常にあり、いつか誰かが別の〈限界〉を作りうる、という将来的〈限界〉もある。性善説に立つなら組織の体力や自身の認識の〈限界〉により他者を傷つけて平気だと思う者ばかりではないはずだが、それでも〈限界〉が発生している以上、いま〈限界〉に嘆息する者もいつ他者を害するかわからない。
 誰しも〈限界〉のすぐそばに立っている。そのそばで上がった声に対して、我々は何ができるのか。自分が声を上げる立場であった場合、どんな対応をしてもらいたいのか。少なくともそれは黙ってやり過ごすことでも、私自身や私の場所ではそんなことはないから大丈夫と思い込むことでもない。今回の要望書と回答は、本当にいますべきことが何なのか、〈限界〉の我々に問い続けている。

ページトップへ