短歌時評

「ナンセンスの回復」への欲求 / 花山 周子

2016年4月号

・水仙と盗聴、わたしが傾くときわたしを巡るわずかなる水     服部真里子
 この歌を含む「塩と契約」(「短歌」一六年四月号)の七首は、一読、服部真里子の作品のなかでも出来栄えがよくないと思った私は、その後に展開された議論を感興がわかないまま眺めていたところがあった。ところが。先日、もう一度この歌を読み返したとき、私は、「いい歌だ」と思ったのである。なぜ、そう思えたのか。一つにはこの歌が私の脳裏に強くインプットされたということがある。有名人を見れば有名人に見えるように、この歌がインプットされたことで自ずと名歌に見えるようになった。もう一つ私が思い当たったのは、いくつもの議論の応酬を読む中で、その都度、この歌に立ち止まったその時間が私の中でこの歌への思い入れを育んだのではないか、ということである。私はふだん短歌は「座の文芸」だ、と考えることをあまり好まないのだが、こんなことがあると短歌はつくづく「座の文芸」なのだ、と思わされ、自分の中に起こった現象を興味深く思った。
 ところで、世代差や価値観の断絶が深刻に語られる昨今にあって、服部論争が一種の代理戦争の様相を呈していたようにも思われる。結果的にこの論争を通じて、服部が自身の短歌観や作歌姿勢を鮮明にすることになったのだが、そこには早急な過程もあった気がして私は一抹の息苦しさも感じたのだった。
 昨年末に面白い同人誌が出た。一つは〈医療の現場に身をおく7人の歌人たちが寄稿した一回限りの短歌雑誌〉なる「短歌ホスピタル」。メンバーは実際の医師や薬剤師等。また、医療系編集者でもあり歌人の山崎聡子と鯨井可菜子が寄稿はせずに企画から編集までを担う。高校の文化祭のノリがイメージされるこの冊子、蓋を開いて驚かされるのはそのクオリティーの高さである。何首か紹介しよう。
・櫛つかふ腕が痛めり圧(お)しつづけし心臓すでになきこの夜を     小原 奈実 
・いくつもの死を見届けてぼんやりと色を持たない明け方にいる   香村 かな 
・ベーリンガー・インゲルハイム社うららかに入力マニュアルが役立たず
                                北山あさひ 
 小原の歌の、すでになき「心臓」の実体感。明け方を、「色のない」ではなく、「色を持たない」と詠う香村の眼差し。北山独特の文体が紡ぎだす「役立たず」の鮮烈さ。いずれも、一様ではなく差し迫って来るものがあった。各コンテンツも充実しており、土岐友浩の評論「沈黙をめぐって」は大作である。
 もう一冊は「太朗?」。染野太朗と吉岡太朗が「太朗」つながりではじめた同人誌。しかも作品に付された作者名はなぜか、染野信朗とおさやことり。厳密には二人のうちどちらの作品なのか、むしろそういうことが外されたかたちとなっている。しかも染野信朗の連作タイトルは「行け染野へと」。『行け広野へと』のパロディ。「太朗?」の様々な仕掛けも相まって私はここにある変な歌々に笑ったり驚かされたりした。二首紹介しよう。
・八月の真つただ中を貫ける奈良線、あるいは染野の歴史       染野 信朗 
・でんちゅうにこくどこうつうしょうとあるはるかなものがそこにあること
                               おさやことり 
 さて、この二冊の特性は、「医療」と「太朗」という短歌同人誌にあってはある意味ナンセンスな発想の実践にある。そしてそのナンセンスに全力で取り組むことで生まれる一種の解放感とエンターテイメント性。私は久しぶりに純粋にこの二冊がおもしろかった。
 ともすれば互いの立場や態度表明を迫る息苦しい時代、「ナンセンスの回復」という欲求も一方であるのかもしれない。

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