短歌時評

ローソンという感動: 『短歌になりたい』を読む / 浅野 大輝

2022年8月号

 五月下旬、絹川柊佳『短歌になりたい』が刊行された。本書は第五九回短歌研究新人賞を「いつも明るい」三〇首で受賞した作者の、二〇一九年から二〇二一年までの作品連載を中心に構成された歌集。コンパクトにまとめられつつも、非常に読み応えがある。
  地下鉄の風にプリーツスカートがばらばら揺れた 立てているから
  手も足もしびれるまで鳥の観察 純粋さがお金になればねえ
  ちょっとしたものでもあれば近付いてきらきらと見るイルミネーション

 一首目、ラストの五句目「立てているから」によって、それ以前のスカートが揺れたという四句分のディティールの見え方ががらっと変わる。風でスカートが揺れたのは当然そのスカートを履いている人が立っているからこそなのだが、「立てているから」という可能形は単純に動作を示す以上に、その人がなんとか立っているというぎりぎりの心理状況にあるということをも思わせる。そしてその立っている場所は、「地下鉄の風」が来る場所、おそらくは駅のホームなのである。駅のホームで、ぎりぎりの心理状況でいる、という危うさがラストの五句目で一気に風のようにやってくる。
 また二首目と三首目にあるような、ちょっとした明るさ、細やかなものの価値を見出す視点もこの歌集の魅力だろう。それらは必ずしも「お金になれ」るようなものではないのだが、でもイルミネーションは小さいものでも嬉しくて、公共施設や商業施設、一般住居など設置場所を問わず近づいてみたくなってしまう。金銭に結びつきにくいからこその純粋さがあって、そうしたものに惹かれる気持ちに共感するとともに、なんだか短歌自体もそうしたものの一例だよなあと思わされる。
 都市生活での心理的な不全感・圧迫感、それゆえ輝く細やかなものたち――それが先のような歌から導き出される全体の印象になろうが、そんな画一的な見方から逃れるような歌が生き生きとあることもまた魅力である。
  自転車で前を通ればたっぷりと角度を変えたタワーマンション
  ローソンだ近くに行って見てみよう 雨の横断歩道を渡る

 一首目、見ている視点が変わるごとにその分の「タワーマンション」が「たっぷりと」存在、、しているという捉え方が面白い。また二首目は、何故そんなテンションでローソンに近づくのか。「近くに行って見てみよう」はローソンの店内を覗きにいくとも取れるが、ローソンの店舗自体に近付いて、それを外側から「ここってこうなっているのかあ」などとじっくり観察してみようとする言い方にも取れる。そしてその観察は、「雨の横断歩道を渡る」ことを即決させるほどその人を惹きつけているのである。時評子個人が普段このテンションでローソンを見ていなかったせいなのだろうか、なんだかへんに印象深い。
 この「ローソン」の印象深さを不思議に思っていたが、他の書籍で次の言及を読んだとき、なんとなく合点がいく心地がした。
  カメラの捉えた映像には本来「意味」などない。(…)だからむしろ、画面の中
  で何が重要で、何がそうでないかを決めつけているほうが不自然な見方なのだ。
         編著いいだ/なむ『ゲームさんぽ:専門家と歩くゲームの世界』
 絹川作品もまた、世界に対する意味づけをリセットし、そこを「さんぽ」しながら見つめ直している。そこでは何かがあるということは前提ではなく、そもそも感動的なことになる。そのことが、主体やわたしたちをローソンの観察に近づけていくのではないか。何かを感じるときに隠れてしまう存在自体への感動を、絹川作品の「ローソン」は抱えているのだといえるかもしれない。

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