八角堂便り

タイトル考 / 三井 修

2016年3月号

 歌集のタイトルは作品の一部だと言われるが、作る前から決めている人もいれば、最後の最後まで迷う人もいるようだ。
 私の第一歌集のタイトルは『砂の詩学』だった。確かに歌の大半が砂漠で詠まれた歌集ではあったのだが、どうしてこのタイトルにしたのか、明確な記憶はない。ただ、今までの自分の歌集のタイトルの中では一番気に入っている。普通、タイトルは歌集の作品の中の言葉から選んで付けることが多いと思うが、この言葉は歌集中にはない。ただ、大きな書店では短歌ではなく、現代詩のコーナーに置かれたらしい。
 第二歌集は『洪水伝説』とした。旧約聖書の「ノアの方舟」に因んだ。まだ仕事で聖書の舞台のようなところを歩き回っていたからである。
 第三歌集は『アステカの王』である。「アステカの王の悔しみ告げにくる使者ならめ今年最初の燕」という作品からとった。生きていれば悔しくてたまらないこともある。それを、一握りのスペイン人によって滅ぼされた王の悔しさに託した積もりだったのだが、「中東から中南米へ移ったのか」とも言われた。
 第四歌集は『風紋の島』である。長く暮らしていたペルシャ湾の小さな島国、バーレーンの積もりだった。最初は単に『風紋』の予定だったのだが、入稿してからある人に「鳥取の歌集と間違えられる」と言われて、校正の段階で変更した。
 第五歌集は『軌跡』である。集中の「自らの軌跡を見つつ航くことの淋しも夏のボートの青年」という作品から取った。あとがきに「ボートと言うものは奇妙な乗り物で、後ろ向きにオールを漕ぐため、自分の航跡は見えるが、行き先が見えない。人間も五十代半ばを過ぎれば、過去の自分の人生は見えるが、この先の人生はまだ見えにくいものがある。」とタイトルの理由を書いた。
 第六歌集は『砂幸彦』とした。砂漠地帯で少年時代を送っていた息子たちを念頭に歌った作品「帰り来て幾年砂漠の夕焼けの記憶はありやわが砂幸彦に」から取ったが、「すなさちひこ」という言葉が発音しにくいのが気になっていた。
 第七歌集は『薔薇図譜』である。こちらの方は画数が多いのが気になった。書店で注文書を書いている途中で、諦めるのではないかと思った。
 第八歌集は『海図』である。「あとがき」に「かつて男たちは海図を頼りに大海に乗り出した。私にとってそのような未知の世界に対する憧れを象徴する言葉が「海図」なのであろう」と書いた。カリブの海賊たちが持っていたようなイラスト的な海図をイメージしていた。
 これまでの自分の歌集のタイトルについていろいろと書いたが、これから歌集を出そうとする人の少しでも参考になればと思う。

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