八角堂便り

ルーター、ブロカー / 真中 朋久

2016年1月号

 既にカタカナ表記で定着している言葉を、テレビなどで聞きかじったまま書いたものはちょっと困ったものになることがある。とくに時事的なことを題材にするような場合には、言いたいことがまったく伝わらなかったりするから、耳から聞いただけのものも、一度確認したほうがよいだろう。
 もっとも、カタカナ表記が定着するまでには、さまざまな表記が入り混じることがあって面白い。いったいこれは何だ?と思ったのは、こういう作品。
  こころみに思へぎりぎりの處(ところ)なりともルーター網ごときに負(ま)けて何せむ
  ぞ                            齋藤茂吉『寒雲』
 「ルーター網」というのは、私にとっては、たとえばこういうもの。
  はつなつの夜を明滅しつづける光通信ルーターのランプ
                              畑谷隆子『月虹』
 インターネットへの経路を制御する機器。それを介して繋がる回線網。モデムと呼ばれる機器にこの機能が含まれている。近年は一般的になりすぎて、わざわざ「ルーター」と呼ばれることも少なくなったかもしれないが。
 茂吉の作品は、直前にはニュース映画を題材にした〈泥(どろ)すすむ軍馬(ぐんば)の列が映畫より消えゆきし後涙(なみだ)いづるかな〉がある。日中戦争が行き詰まりつつある昭和十四年の作品。ここでようやく「ルーター」は、ロイター通信社のことであると気付く。欧米通信社が伝えることが欧米の世論を動かしていることに対して、憤っているのだろう。上句はわかりにくいが、苦戦を強いられているとニュースが伝えたからといって、戦意を喪失したりはしないということか。
  ふてぶてしき女ブロカーより吾がとりし拇印朱きかも顛末書の上に
                               岡部文夫『魚紋』
 戦後間もないころの作品。戯れに、あることないこと書きまくっている「ブロガー(インターネット上で継続的に文章を書く人)」を厳重注意して顛末書を書かせた場面……などと言ってみたりしたが、これは「ブローカー」。その当時、専売公社に勤めていた岡部は、塩や煙草の密造・密売の摘発にあたっている。おそらく「ブローカー」が生産者を組織し運び屋を手配しているのだろう。
  あかときは暗き雨となりぬ氷見線より塩をさげくる一団(いちだん)をまつ
  泪ながして吾が前にいふ言(こと)きけば戦死者の妻にしてあはれまづしき
  十一歳の少年の背にいたいたしく塩を負はしめし親をこそおもへ
  二升余の塩をさげたるまづしきは吾がみのがさむゆけと押しやる
 茂吉の「ルーター網」から十年も経っていない。敗戦後の北陸、富山の寒々とした一場面だ。

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