「母」という性をうたうこと / 大森 静佳
2015年10月号
「母の歌」には二通りの意味がある。一つは「母親としての自分を詠んだ歌」、もう一つは「子として自分の母親を詠んだ歌」。五島美代子や河野裕子を筆頭に、戦中戦後は前者が骨太な存在感を持っていたが、高齢化社会など時代やライフスタイルの変化もあって、実感として最近は後者に目が向くことが多い。
一人がけのバスの座席に前を向く母を流れて風景がゆく
すだちの数を分けあいながら母の手とわが手が光のなかを交差す
中津昌子『むかれなかった林檎のために』
から引いた。一首目、風景が「母を」流れるという把握に老いてゆく母の儚さがある。二首目は映像の立ってくる歌で、産んだ者と産まれた者のそれぞれの人生の光がただひっそりとクロスしている。
眠って眠って産道を下りてゆくように母は眠りぬま昼をふかく
まぎれなく母からつづくくらやみの体ひねれば腰にある痣
さらに、このような歌が独特。深く眠った母が下りてゆくこの産道は、一体誰の身体のなかなのだろう。どこに産まれ落ちるのだろう。そんな母の産道からかつて産まれた「私」。母という性の豊かな入れ子構造を思わせる。
河野美砂子『ゼクエンツ』は「梨の実はゆふくらがりに瞑目す死ななければ生きられなかつた人に」など死を詠んだ秀歌が多い歌集だが(この結句の「に」の恐ろしさ)、特に歌集後半では母の死が克明に描かれている。
のこる命二十日あまりの病床に母は言ひたりセックスといふ言葉
のしかかり来しは母なり性愛にわが纏はりし夜の眠りの上に
同じく母と性という主題が、より醒めた文体で深められてゆく。一首目は前後の文脈がカットされている分、いっそう異様で哀しい。二首目は怖い歌で、これなどは従来ほとんどタブーとされてきた領域であろう。
母親のなかに性に繋がる身体性を見るということ。こうした歌い方の開拓者として、佐伯裕子を挙げたい。
夜に濡れ母がわたしを産みにくる産めば気持がよくなるという 『寂しい門』
塗りこめる母のまなぶた青すぎて蛍が流れているのかと思う 『流れ』
何とも言い難い不思議な官能を帯びた歌の数々に、私は初読時から痺れてしまった。中津の歌にも言えることだが、「産む母」は瞬間的な存在ではない。永続的に「わたしを産みにくる」、怖ろしい何者かなのだ。その不気味さを、母の奥の性を、私たちは普段は忘れて過ごしている。でも、母が老いや死に向かいつつある時期にもう一度思い出す。思い出さざるを得ないのだ。
母が老いや死を迎えると、その肉体を見つめたり触れたりする機会が自然に増える。哀切で苦しいことだが、母親の身体を思うことは自分を思うことでもある。中津や河野、佐伯の母の歌には、身体の感覚を通して、母と自分の間にある暗闇を手探りで進む危うい魅力があるのだ。
「金木犀 母こそとはの娼婦なるその脚まひるたらひに浸し」(塚本邦雄)や「母の日傘のたもつひめやかなる翳にとらはれてゐしとほき夏の日」(大塚寅彦)など、二首とも愛唱性のあるいい歌だが、男性による母の歌にはある種の型のようなものもある気がする。と言うより、たぶん外側から母を見ているのだ。娼婦性や神性を見たり、ミステリアスな存在と捉えたり。単純には比べられないけれど、佐伯らの歌にはもっとわけのわからない内的な熱がないだろうか。他者を歌うことで自分自身が刺し貫かれる、その痛みである。