百葉箱

百葉箱2015年10月号 / 吉川 宏志

2015年10月号

  黙たうの一分間は亡き友を三年八組の生徒にもどす
                       嶋寺洋子 
 同窓会で黙禱している場面か。実際は年取って亡くなったのだろうが、思い出の中では若い日のままである。それを、黙禱が「生徒にもどす」と表現したところに味わいがある。「三年八組」という細かな具体もよい。
 
  半夏生ゆれゐるやうなり開演を待つ人々は扇子をあふりて
                           工藤博子 
 半夏生は、初夏のころ葉が白くなり、山などで揺れている。白い扇が揺れている様子をたとえており、なるほどと思わせられる。結句「あふりて」は「煽りて」で、歴史的仮名遣いの美しさがある。
 
  ねぢふせられしひかりなれどもひかりなれきみと見上ぐる七月の空
                              浅野大輝 
 上の句は不思議な表現。夏の暴力的な光を、言葉の弾力を生かして歌う。一転して下の句は穏やか。「きみ」といる幸福を素直に受け入れている。
 
  地方の町の戦禍は地味にしか語られずひつそり消えてゆきし人々
                             仁科美保 
 たしかにそうだ。遺族の姿がテレビで大きく取り上げられることもない。しかし、地方の町の空襲でも、同じように被害を受けた人々がいたこと、何も語らないままに世を去っていったことを、静かに訴えている。
 
  似たやうな切り岸ばかり現れぬ人麻呂の里よりもどる車窓に
                           与儀典子 
 山の中の電車の車窓から見ている。同じような風景が続き、さっき見たのに似た崖が、再び現れたりする。「人麻呂の里」がよく効いていて、古い時間の中をさまよっているような、神秘的な感覚が生まれている。
 
  さて吾は賛否を問われ東電の社員の子ゆえ下向くばかり
                         永倉常一郎 
 原発の賛否を問われた場面。親の苦労を知っているので、心境は複雑だ。「さて吾は」という初句に、リアルなとまどいの感じがこもる。

ページトップへ