青蟬通信

「年代記」について / 吉川 宏志

2015年7月号

 上田三四二の第一歌集『黙契』の冒頭には、
  年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし
 という一首が置かれている。昭和二十年代後半の作と考えられる。
 「年代記」とは、年ごとに起きた出来事を記録する書物。クロニクルと呼ばれることもある。
 何かの歴史書を読んでいるのだろう。事実だけを淡々と記している中に、激しい恋愛の記述があった。その周りだけは、いきいきとしていて、ぬくもりが感じられる。だいたい、そんな意味だと考えればいいだろう。
 では、この歌の「年代記」は何を指しているのか。上田三四二に関する書物は何冊かあるのだが、どれもこの「年代記」が何なのかを書いていない。玉井清弘は『上田三四二』で、この歌のあとに置かれた「伝承はかく言へり比(たぐ)ひなく心浄きゆゑ精霊をはらみし処女(をとめ)のひとり」などの作から類推すべきなのだろう、と述べている。これはおそらくマリアを詠んでいるので、新約聖書のころの歴史書だろうということか。
 上田三四二の所属していた短歌誌「新月」の初出を調べればいいのだろうが、当時のバックナンバーが、図書館や詩歌文学館などに所蔵されていない。ただ秋元千恵子の詳細な評伝『含羞の人歌人・上田三四二の生涯』にも、「年代記」が何かは書かれていないので、初出を調べても分からないのかもしれない。
 手詰まりになってしまったが、ふと思いついたことがある。昭和二十年代に、「年代記」という書名でイメージされるのは何だったのだろうか。現在ではタキトゥスの『年代記』が有名だが、これが翻訳され、一般に読まれるようになったのは、昭和四〇年のことだった。おそらく上田が読んだのはこれではない。
 国立国会図書館のデータベースを使えば、昭和二〇年代に「年代記」という書名で何が出版されていたのか、簡単に分かる。百三十五冊ほどヒットする。『歌舞伎年代記』などがあるが、これも違うだろう。
 可能性が高いものが一つある。昭和十一年に改造社から刊行された、ゲーテ全集第二十三巻「年代記」。上田はゲーテを尊敬していたので、目を通していたことは十分にありえる。改造社は、齋藤茂吉の『朝の蛍』などを出版していた会社でもある。
 ゲーテといえば、シャルロッテ・ブッフに対する、自殺未遂を引き起こしたほどの恋が有名である。後日、その恋をモデルとして、小説『若きウェルテルの悩み』が書かれた。
 ゲーテ『年代記』を開くと、一七六九年ごろの部分に、
「事件、情熱、享楽、苦痛など。」
という一行がさらりと書かれている。全集には傍注があり、シャルロッテとの恋を指すか、と指摘されている。まさに「死ぬるほどの恋」が、年代記の中に、秘かに書き込まれていたのである。
 もちろんこれは、私の推測にすぎないので、確実にこれだと断定できるわけではない。だが、正しいと仮定してみよう。なぜ上田はこの一首を歌集の冒頭に置いたのか。
 上田は、ゲーテのような「死ぬるほどの恋」が自分にもあったことを、秘かに伝えようとしていたのではあるまいか。前述したが、「処女」の歌がこの歌の次に置かれている理由も、何となく分かる。『黙契』には、
  逢ふことも難からむ日の暮れかたにここの通(とほり)をきみ帰るとも
 など、隠されたような恋がいくつも歌われている。上田は『黙契』のあとがきに、「大凡虚構に支えられた作品である。」とわざわざ書いているのだが、かえって怪しいように思う。書きたいけれど書けないものは、暗号として書くしかない。
 死ぬほどに悩み苦しんだ恋も、事実を述べた記録の中では、ほんの断片になってしまう。しかし注意深く読むなら、そこにはまぶしい生の時間が存在するのだ。そんなことを彼は歌いたかったのではなかろうか。
 繰り返しになるが、これはあくまでも、根拠の薄い仮説にすぎない。しかし、推理するように短歌を読むことは、非常にスリリングな愉しみなのである。私は推理小説がとても好きなのだが、探偵になったかのような気分を味わうことができる。

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