青蟬通信

世界が重なりあう / 吉川 宏志

2023年11月号

 十月のNHK短歌のゲストに、作家の小川哲さとしさんに出演していただいた。小川さんは、満州国の興亡を、架空の街を舞台にして描き出した『地図と拳』で、第一六八回直木賞を受賞している。私も読んだが、重厚かつスリリングな小説で圧倒された。地図は戦争のために作られる。だが逆に、地図を深く研究することで、戦争の予測と阻止ができないか。そう考えた人々の希望と挫折が、緻密な筆致で描かれている。
 小川さんの『君のクイズ』もとてもおもしろい小説だった。こちらは全く雰囲気が違い、テレビの早押しクイズがテーマのミステリである。
 早押しクイズで、問題文が読み上げられる途中でボタンを押して、答えを言って正解する、ということがある。それがエスカレートし、問題文を全く読まないうちに正解するという珍事が起きてしまった。これはインチキなのか、それとも可能だったのか、という謎を解く物語。
「『現在は淡路島の保存――』
 バァンという音がする。本庄絆ほんじょうきずなのランプが光っている。
 僕は呆気にとられている。僕は指先に力すら入れていない。答えの想像もついていないからだ。(中略)
 『野島断層』と本庄絆が答える。僕はどうして『野島断層』という答えが導きだされたのか、想像もできずにいる。
 ピンポン、と音が鳴る。観客席に驚きの声が広がる。」

 もちろんフィクションだが、似たようなシーンをテレビで見たことがある人は少なくないのではないか。
 本庄絆の祖父は阪神・淡路大震災で亡くなっていた。また、中学校の修学旅行で実際に見たこともあったらしい。そういう経験があったからこそ、淡路島の保存館で展示されている野島断層を答えることができた。
 「クイズに正解するときはかならず、問われている問題と過去の自分の経験が重なります。そうでないと、僕たちはクイズに答えることはできません」と、主人公の「僕」は語る。
 それと同時に、クイズの出題者にも、答えを解いてほしいという願いがあるのだ、という。誰にも答えられないクイズを出すのは虚しい。難しい問題を作りながらも、答える人が現れるのを望んでいる。
「自分で問題を作ったことのある人間なら誰でもわかると思うが、作問者は『できることなら誰かに正解してほしい』と思っている。正解のピンポンという音は、解答者だけでなく、出題者も肯定する音なのだ。解答者の世界と、出題者の世界が重なりあって、答えがひとつに確定する。それこそがクイズの醍醐味だいごみだ。」
 つまり、解答者と出題者のあいだに、目に見えない共犯関係のようなものが結ばれているのである。
 短歌でも、同じようなことが起きる。短歌で描けるのはほんの断片にすぎない。それなのに、もっと大きなものが伝わっていくことがある。その不思議さを味わいたくて、私は歌会に参加しているのかもしれない。
 田村穂隆さんの『うみとファルセット』を批評会のために再読した。初読のときは見過ごしていた次の歌が目に留まった。
 「座禅会行こう」と父に誘われる精神薬を嫌がる父に
 父親は、自分の子が精神薬を飲んでいることが、何となく許せないのである。世間体を気にしているのかもしれない。だから座禅会に連れて行って、精神を鍛えて治してやろうとする。「父に」が二回繰り返されることで、父親の持つ威圧感がリズムの上でも伝わってくる。
 かなり複雑な内容が歌われているのだが、はっきりと場面が目に浮かぶ感じがする。おそらく私自身も、父親から無理に鍛えられた経験があり、誘いを断ることのできない苦しさは分かる気がするのだ。歌を読むとき、「過去の自分の経験」が重なってくることを実感する。
 作者と読者の「世界が重なりあ」うことは、短歌を読む大きな喜びの一つなのではないか。もちろんそれがすべてではなく、世界が全く重ならない作品に衝撃を受ける、という喜びもあるだろう。ただそれでも、世界を重ね合わせようとすることは、大切な営為であり続ける気がする。

ページトップへ