青蟬通信

七滝訪問の記 / 吉川 宏志

2023年7月号

 河野裕子さんの熊本県御船町みふねまちの歌碑の除幕式の前日、この町の七滝という地に連れて行っていただいた。御船町役場から、車で二十分くらい。山の奥深いところである。雨が強い日で、周りの山は白い霧に包まれている。七段の大きな滝があるというが、今回は時間がなく、見ることはできなかった。この地に、河野さんは三歳まで暮らしていたという。三歳の頃の記憶なんて私にはほとんどないけれど、河野さんは七滝の風景を鮮明に憶えていたという。
 二〇〇八年に出た『母系』に、
  もう疾うに生家はあらず栗の木の冬枯れたるがぼそぼそと立つ
  幽霊坂舗装されゐて笹も無しあつけらかんと冬風ばかり
  中村と井無田ゆみたのあひだの泥田圃ずつたんぼ記憶のままにあをく広がる
  ふるさとは墓が古びてゆく所へつりに赤い椿が咲きて
という歌がある。二〇〇五年一月三十一日に、河野さんは数十年ぶりに七滝を訪れたのだった。前日に、熊本近代文学館でイベントがあったらしい。そして、同館の学芸員の馬場純二氏、地元の奥田盛人氏らに案内してもらい、生家の跡や墓地などを歩いたようである。
 二首目の幽霊坂は、河野さんの先祖の福島家の墓地がある高台につながる細い坂道である。地元の人は、舗装されている道の下のほうに笹藪があり、そのあたりが幽霊坂だとも言っていて、正確な場所はよく分からない。「あつけらかんと」と歌われているが、雨が暗く降っているので、いかにも幽霊が出そうな雰囲気がある。
 そういえば河野さんは怪談のたぐいが好きで、心霊現象の話を楽しそうに聞いている姿をよく憶えている。
  靈の字は怖い字ならず器ならべ巫女が雨ごひする字と教ふ
                            『体力』
 子どもの頃から幽霊は、恐ろしいというよりも、肌で感じるほど近しい存在だったようである。
 墓地には河野さんの祖母の福島ジュネの墓がある(墓石には「福島寿子」と刻まれている)。カナダに単身で移住し、写真を見ただけの遠縁の男と結婚し、六人の子を産み、離婚して子どもたちと共に故郷に帰ってきたというジュネの話は、河野さんのエッセイによく登場する。おおらかでたくましい女性だったようだ。
 「ふるさとは墓が古びてゆく所」という歌のとおり、風化して輪郭がぼんやりしている墓石もある。「*百年くらゐはへつちやらなのだ」という歌があるが、ここに立っていると百年くらいの時間はあっという間に過ぎてしまう感じがする。
 泥田圃ずつたんぼはあのあたりです、と車の中から指さして教えていただいた。なだらかな斜面に棚田がいくつか並んでいて、珍しくもない風景なのだが、やはり感慨深く眺められた。
 それにしても「ずったんぼ」という語感は独特である。河野さんの歌には不思議なオノマトペがいくつもあって、目についたところから引くと、
  水掻きがうつぽつぽ、うつぽつぽとよく動き池の真中に鴨が寄りゆく
                                 『家』
といった歌がある。幼い頃に聞いた「ずったんぼ」のリズムは、心身に深く刻まれたのかもしれない。
 墓場から少し下ったところに生家の跡がある。今はもう何も建っていなくて、落ち葉が降り積もっている。敷地の端の方には蔓がからまっている鉄柱があり、キウイを植えているらしい。河野さんの歌によれば栗の木が立っているはずだが、気づかなかった。最近木を伐ったらしく、切り株がいくつかあって、あるいはそれが栗の木だったのか。
 あたりには竹藪も多い。
  雨に濡れゆさりゆさりと揺れながらいやな雨やなあと竹たちが言ふ
                                『母系』
という歌は、京都の岩倉の家の竹林を詠んだのだろうが、子どもの頃にも同じような音を聞いたのだろう。この歌にある、幼い心に帰ってゆく感覚には、故郷への思いも含まれていたのではなかろうか。夕暮れ近くの山の雨が、あたりに寂しい音を立てていた。
 
*「知恩院京の桜の泡立ちやう、百年くらゐはへつちやらなのだ」
                             『歩く』

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