青蟬通信

木下利玄と現代短歌 / 吉川 宏志

2024年1月号

 岡山県短歌大会で講演をすることになった。何を話すか悩んだのだが、岡山市の足守あしもり木下利玄きのしたりげんの出身地だったと思い出し、利玄と現代短歌の関わりについて語ることにした。
 ただ、木下利玄は現在あまり取り上げられない歌人である。大正時代に活躍し、三十九歳で亡くなっている。どのように現代短歌とつながっているのか、疑問を持つ方も少なくないであろう。
  地に坐り立木に寄れば矢継早に地震なゐとよみきて地も木もゆらめく
                            木下利玄『みかんの木』
  金輪際こんりんざいなくなれる子を聲かぎりこの世のものの呼びにけるかな
                                   『紅玉』
 一首目は関東大震災のときの歌。二首目は、幼い娘の夏子が亡くなったときの歌である。
 一首目、「矢継早」という語が歌に使われているのが珍しい。普通、こうした慣用句を歌に用いるのは避けられる。歌会でも「慣用表現を使うのはやめましょう」と言われることが多いはずである。ただこの歌の場合、「矢継早」の本来の意味――矢を次々に射ること――が浮かび上がり、地震が矢のように襲ってくるイメージが生じている。リアルな情景が見えてくる歌である。
 二首目の「金輪際」は元々仏教の言葉で、大地の最も奥底を指すらしい。昔は日常でもしばしば使われた語であった。短歌の中で、クローズアップされるように用いられると、この語の美しさに改めて目を惹かれる感じがする。娘が急病で死ぬという悲痛な状況の中で、それでも言葉を工夫しているところに、歌人としてのごうを感じずにはいられない。あるいは、つらく苦しいときほど言葉が見える、ということもあるように思う。
 なお、川端茅舎かわばたぼうしゃに「金輪際わりこむ婆や迎鐘」という昭和初期の句があるが、利玄の歌のほうが先である。
 利玄には、
  遠足の小学生徒有頂天うちやうてんに大手ふりふり往来とほる
                         『紅玉』
という歌もあり、以前はよく小学校の教科書にも載っていた。やや単純すぎるような歌だが、「有頂天」や「大手ふりふり」という慣用句的な表現を歌に取り入れる試みの一つだったのではなかろうか。
 こうした表現は、現代短歌にもときどき見られるのである。
  歌人おほかた虚空にあそぶ青葉どきたのみの綱の佐佐木幸綱
                              塚本邦雄『波瀾』
 『サラダ記念日』ブームのころ、浮足立っていた歌人たちを皮肉った歌。「たのみの綱」という慣用句をもじった下の句に笑ってしまう。塚本は、軽くなってゆく短歌の世界の中で、佐佐木を強く信頼していた。
  いとしさもざんぶと捨てる冬の川数珠つながりの怒りも捨てる
                              辰巳泰子『紅い花』
  橋桁にもんどりうてるこの水はくるしむみづと決めて見てゐる
 こうした歌も印象に残っている。「数珠つながり」や「もんどりうてる」も俗語的で、歌の中には普通使わない。しかしそれが取り入れられることにより、いきいきとした味わいが生じていることに気づかされる。俗が混じることで歌は賦活されるのである。自作で恐縮だが、
  風を浴びきりきり舞いの曼殊沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
                               吉川宏志『青蟬』
を作ったときには、「きりきり舞い」を歌の中で使ってみようという思いがあった。当時、木下利玄の歌をよく読んでいたので、影響を受けた一首であることは間違いない。古い歌集を読み返してみると、意外にいろいろなヒントが見つかるものだ。
  蕗の葉に丁寧ていねいにあつめし骨くづもみな骨瓶こつがめに入れしまひけり
                              斎藤茂吉『赤光』
 母の死を詠んだ中の一首。茂吉は「『丁寧に』といふ語は、従来の歌人等によって殆ど全く使はれなかつた表現なだけに珍しいといへば珍しく」と述べている(『作歌四十年』)。「丁寧に」は慣用句とは違うが、やはり日常性が強く、歌では使われない語であった。それをあえて使うことで、新鮮な効果が生まれることを、茂吉はよく理解していた。
 身近にある言葉を、よく観察すること。短歌を作るうえで、それはとても大切なことなのである。

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