百葉箱 2015年5月号 / 吉川 宏志
2015年5月号
からがらに山降りしと年賀状の写真のふたりは御嶽のもの 首藤よしえ
「降りし」は「くだりし」と読むのだろう。御嶽山の噴火の歌だが、そのときの写真を年賀状にしているというのが、逞しいと言えばいいのか、複雑な気持ちにさせられる。人間の心理の奇妙さが伝わる。
一人居の母が声あげ撒きたりしか廊下の隅に豆がふた粒 久岡貴子
節分の豆撒きを一人でするのは、とても寂しい感じがする。二粒の豆を見つつ、その夜の母の声を思っている作者の繊細な心に打たれる。
頭とほす穴あけ縫ひし人思ふオレンジ色の人質の服 大河原陽子
イスラム国の人質の歌は、いくつも作られているが、その中でも、拘束服を縫った人にまで想像を伸ばしているこの一首にどきりとした。殺害に、服を縫うことで加わっている人——おそらく女性——もいるのである。どんな思いで縫ったのか、作者は静かな問いを投げかけている。
安川美子の作も、すべてが終わった後に救出の予測記事を読む虚しさを歌っており、印象的である。
思い出すために振ってるサイコロの1の目、そんな国もあったね 工藤吉生
日本が滅びたあとの世界を想像しているのだろう。サイコロの1は、日の丸の旗に似ている。終末の予感が、虚無的な形で詠まれていることが興味深い。河村壽仁の歌も、やや近い感覚があり、秩序が失われたあとの、奇妙に美しい世界がイメージされている。
酢橘(すだち)の実食みつくしたるひよどりよさうだつたのかおぬし悪阻(つはり)か
江見眞智子
読むたびに笑ってしまう一首。何でも食べてしまうヒヨドリは悪名高いが、「おぬし悪阻か」という作者の発想には驚愕した。リズムもいきいきとしている。ヒヨドリ嫌いの高野公彦氏に教えてあげたい一首。