短歌時評

歴史を学び続ける意志 / 川本 千栄

2012年11月号

 九月八日、東京の青山アイビーホールでシンポジウム「今、読み直す戦後短歌」の第六回が行われた。これは秋山佐和子・今井恵子・川野里子・佐伯裕子・西村美佐子・花山多佳子の六人により、二〇〇九年七月から約半年に一回の割合で継続的に行われてきたものだ。
 
 第一回から第三回までは、「今、読み直す戦後短歌」「第二芸術論の時代」「戦中からの視野」というタイトルで、六人がそれぞれ二十分間講演した。第四回から第六回は、二人が各六十分間講演する形に変わった。タイトルは「前衛前夜パート1」「パート2」「パート3」。また六回を通じて講演の後には合同討議がなされた。
 
 私は第一回から六回まで通して参加し、こうした学習会に近いシンポジウムに大いに啓発された。まず「私たちが戦後の問題を検証しなくてどうするんだ」「今ここで勉強しておかないと現代短歌というものがわからなくなるのではないか」というメンバー達の気概に打たれた。次に、講演と討議を通して、如何に多くの歌人が忘れられているか、特に女性歌人の忘れられている割合が如何に高いかを再認識したのである。
 
 このシンポジウムでは、多くの女性歌人の名前が挙がった。その中でも、森岡貞香、斎藤史、葛原妙子の三人はビッグネームとして何回も登場した。彼女らは総合誌等で取り上げられることも多い歌人達である。加えて、存命中には大きな影響力を持っていた歌人や生前からあまり言及されなかった歌人達も、ここでは掘り起こされ、取り上げられた。
 
 女性歌人に限らないが、短歌史の中に位置づけられて引用され語られる歌人は、それゆえさらに繰り返し孫引き的に言及される。その陰で全く語られない歌人が増えれば、時代の空気が正しく伝わらない危険性が生じる。そうした事態を避けるためにも、このシンポジウムでは「原典にあたること」「初出の雑誌で読むこと」の大切さが力説されていた。
 
 例えば第二回「第二芸術論の時代」では、参加者に配布された資料に「八雲」「女人短歌」「人民短歌」「アララギ」等の歌誌からの引用が載っているのみならず、歌誌のページのコピーも添付されており、参加者はその時代の雰囲気に直に触れることができた。この回では、川野里子の論が興味深い。「潮音」が花鳥風月を芯とした「日本的象徴」で第二芸術論に答えようとしたこと、それを通して原妙子が自分の文体を編み出していったことを、日本画の革新との絡みで捉えた論である。
 
 また花山多佳子は、戦後の短歌における「女人短歌」の果たした役割を常に視野においており、その働きを男性歌人中心の短歌史観に対して如何に位置づけるかを論じた。
 
 今井恵子はこのシンポジウムを通じて「和文脈」という新しい観点を提出した。ただ、この語は批評用語としてまだ意味が確定しておらず、それが何を指すのかについて、共通理解に到達するには至らなかった。
 
 しかし、そうした未確定な概念であっても、「今、このように考えている」という時点で発表するのがこのシンポジウムのスタンスなのだ、という説明がメンバーからなされた。考え続けることによって、新たな展開があるかもしれないが、今の時点での研究の結果を参加者と分ち合いたい、という考え方だ。
 
 こうした「学び続ける意志」は特筆すべきものだと思う。短歌史は固定されたものではなく、論者の視点によってその相貌を変える。学び続けて違う論点を見つければ、その時点で聞き手とそれを分かち合いたい、そうした主催者達の姿勢に刺激を受けた。私自身も短歌について疑問に思っている事を学び始めたいと思ったのである。