百葉集 2015年2月号 / 吉川 宏志
2015年2月号
二十首に絞るのは難しく、次の歌は最後まで迷った。
皿のうえの秋刀魚はいつも左向きひだり遥かなさきはゆうやみ
大野 檜
自分の家なら「いつも左向き」ではないだろうから、店で食べているのだと思う。店の外が夕暮れになっていく感じだろうが、「遥かな」が効いているかどうか、やや疑問だった。しかし魅力的な歌である。
氷上に投げ入れらるる 折るる骨流す血もなくぬひぐるみたち
朝井さとる
こうした時事詠は難しく、何年か経つと、分からなくなってしまうかもしれない。フィギュアスケートの羽生結弦選手の負傷を詠んでいる。自分は傷つくことはなく、拍手喝采する群集への批判が、歌の背後にはあるのだろう。軽く詠まれているが、厳しい視線のある一首である。
半島の岬(さき)まで送る用水の噴火の濁りいまだ澄まざる
加藤 桂
御嶽山の噴火だが、テレビのニュースとは異なる、独自の視点があり、読者をはっとさせる。「半島の岬まで」という細かな地理感覚が、歌のイメージをとても鮮明にしている。
青き空身動き出来ぬ弟は窓よりこの空と遊びているだろう
金岩由美子
訥々しているが、真情のこもった歌と思う。入院している弟は、この青空を見ているしかないのだろうと想像している。「遊びているだろう」は、口語と文語が混じっているのが少し気になるが、「遊んでいるだろう」だと、軽くなってしまう。悩ましいところだが、このままのほうが、むしろ優るようだ。
しりとりの親子の落してゆきし花その花つなげて夜道を帰る
越智ひとみ
しりとりをしていた親子が、最後に花の名前を言った。たとえば「つばき」とか。作者はそのあとに「ききょう」とか繋げながら、家に帰っているのである。発想がおもしろく、言葉の情感も豊かである。