短歌時評

エポックメーカー / 荻原 伸

2011年9月号

  穂村 エポックメーキングな歌人が出ると、上の世代はその人がどんなに衝
  撃的だったか、とても感じると思うのです。河野さんの登場もそうだし、俵
  万智さんもそうだし。(今野寿美・穂村弘・吉川宏志「座談会河野裕子が残
  したもの」「短歌」八月号) 

 穂村弘は続けて、「上の世代」ではなく「それよりもうちょっと後の世代で時
差が」ある自分にとっては、河野裕子はすでにスタンダードになっていたので、
「その衝撃」がよくわからなかったのだと言う。「みずみずしい相聞歌があって、
家族のことをうたって、何でもない身近なことをうたって」そういうスタンダー
ドを「一番見事にできた人」として穂村は河野を捉えている。ここで私が興味を
持ったのは、「エポックメーキングな歌人」が現れたとき、その衝撃を感じるの
は「上の世代」だと穂村が語っているところである。

 河野裕子を語る別の鼎談にも小池光の興味深い発言がある。(小池光・秋山佐
和子・池田はるみ「座談会河野裕子の正体?」「短歌」二〇〇三年二月号引用は
『河野裕子読本』二〇一一)

  たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  河野裕子
  
  小池 この歌はすごく美しくうまくできていて、いかにも名歌っていうたた
  ずまいをしていますよね。非常に様式的で(略)
  池田 この時代の男性達には、あまり奔放じゃなくて、この辺りの姿の美し
  さが愛されたのかなあと思いますね。  
  小池 愛されたのは女流の先輩達にじゃないですか。こういうのが一番受け
  入れられるでしょう。  
  池田 そうか、それは気づかなかったなあ。私は男性かと思っていました。  
  小池 これは馬場さんとか、さっきの座談会に出ていたような女流歌人が、
  これならばいいと言えるような歌だと思いますよ。違うかなあ。

 ここで言う「さっきの座談会」(「座談会女歌その後」「短歌」一九七三年
七月号)には馬場あき子、大西民子、富小路禎子、北沢郁子、三国玲子、河野裕
子が参加していた。小池は後に、河野の「代表的なものはやはり『昏き器』のよ
うに韻律の張りをピンと立てた、うつくしい様式性ゆたかな」歌(これを「立つ
歌」と言う)であり、五十代に入った河野はそれまでの「立つ歌」を「寝る歌」
へと劇的に変化させたとも言う(「生の発散」「短歌」二〇〇九年二月号引用は
『河野裕子読本』)。

 さて、先に引用した小池の発言に戻って、これを整理してみるとふたつのこと
が分かる。①河野の代表歌・名歌とされるのはうつくしい様式性ゆたかな歌であ
ること。②この様式性ゆえに「女流の先輩達」に受け入れられ得たということ。

 時代の新しいページを拓くというとき、その突出した歌人が単独で時代を切り
拓くと思ってしまいがちだ。ところが、穂村・小池の発言から考えるとそうでは
ない感じもしてくる。「エポックメーキングな歌人」やその歌が出現したときに
一番「衝撃」を感じるのは「上の世代」「先輩」である。同様に、名歌として受
け入れて評価する、つまり、新たな価値として認めるのもまた「上の世代」「先
輩」なのである。

 だから、誤解を恐れずに言えば、「エポックメーキングな歌人」とは、「上の
世代」「先輩」という〈エポックメーカー〉によって誕生させられるとも言える。

ページトップへ