百葉箱2022年4月号 / 吉川 宏志
2022年4月号
炊飯器のボタンに今もいきづけり女房ことば〈おこわ〉をえらぶ
伊藤京子
「強こわめし飯」を平安時代の女房達が「おこわ」と呼んだことから生じた語という。古い言葉が最新の機器に残るおもしろさ。
礼ののち撞木ひきゆく吾にしてなにか後ろへ引つ張られゐる
長谷川愛子
鐘を撞くとき反動で後ろに引かれるのだが、その体感に注目して独自の歌になっている。
古書店に父の戦記の売らるるを買ひ戻したり 帰還兵のごとし
与儀典子
父の書いた本が、父そのもののように生命を帯びる。比喩に悲しい味わいがある。
ゆきは酒、ゆきは竪琴、ゆきは歌、コオロギは雪を知らず死にゆく
澤端節子
『閑吟集』などの古い歌謡のような雰囲気がある歌。雪の前に死ぬコオロギが哀れである。
おろしたての朝が来たよう屋根も木も田畑も道もいちめんの雪
中本久美子
「おろしたての朝」が魅力的。一面の雪の白さを、新しい衣服のように感じているのだろう。
雪壁に現
水越和恵
積もった雪が不思議な青みを帯びることがある。その色を写真に残そうとしているのだろう。下の句の句割れのリズムが印象的。
炭酸の抜けた水には炭酸をあきらめきれないような味する
音平まど
ユニークな比喩で、あの味を確かに言い当てている。未練の思いの象徴にもなっている。
その上を歩けば「れ」も「ま」も「止」の白も伸し餅みたいに伸びて正月
吉田京子
道路に描かれた「止まれ」の字だが、表記と比喩に意外性があり、愉しい歌になった。
この先も使う私の肉体を私が酷使している 今は
谷 活恵
将来の健康は考えられず、目の前の仕事を終わらせねばならない必死さ。辛い一首だ。
泣くときのしゃくり上げたる肩に似て噴水の先は冬を揺れおり
鈴木健示
比喩に実感があり、噴水の動きが目に浮かぶ。「肩」がいい。人の姿をよく観察している。
みずからの方へと向けてマッチ擦るいつかわたしを包めるほのお
津田雅子
自分が火葬される日を想像している。上の句の行為が鮮明で、よく読むと怖い一首である。
十日分冷気の溜まるドーム開けオリオン映し動作確かむ
小島順一
プラネタリウムで働いているのだろうか。題材が美しい。「十日分の冷気」も清新な表現だ。
ハッピーエンドだけの世界がいいよねとだれかが云へば消えてゆく僕
宮本背水
自分は幸福な世界には存在できない、と歌っている。絶望的だが、表現に曲折があり、読者の心に入ってくる歌になっている。
離任することを告げない契約で一年生の進級を祝う
音無早矢
非常勤講師で、二年に持ち上がれないのだ。しかしそれを告げることもできない。契約の非人情さに痛む心が伝わってくる。
本棚の奥の歌集の付箋紙に三年前のわれを訪ねる
丸山 萌
三年前に付箋を貼った自分と、今の自分とでは感受性が違っている。そのズレを「われを訪ねる」と表現したところに妙味がある。