八角堂便り

雨夜かりがね / 花山多佳子

2021年11月号

  死に近き母に添寝のしんしんと遠田とほだのかはづ天に聞ゆる
                           『赤光』
 
 言わずと知れた茂吉の有名歌だが、一首の言葉の詰まりぐあいにおどろく。上下を「しんしんと」でつないでしまうのもだが「遠田のかはづ」は「遠き田のかわづの声の」あたりが順当ではないか。間延びしない言葉運びである。
 だいぶ前、斎藤茂吉賞の記念大会の折りに上山を数名で歩きながら、岡井隆氏に「遠田」ってわりとめずらしくないですか、と訊いたことがある。すると「そうだねえ、茂吉の造語でしょうねえ」と言われた。造語というふうには思ってなかったので、びっくりしたのである。
 「遠き」などの形容詞を名詞化した歌は茂吉には多い。
  長鳴くはかの犬族けんぞくのなが鳴くは遠街をんがいにして火かもおこれる
                             『赤光』
 「遠田」は訓読みだが「遠街」は音読み。もっと造語的だ。「遠き街なり」とかふつうなら言いそう。「犬族」もすごい。「犬の族(やから)」を約めた。それで「長鳴く」はリフレイン。一種異様な言葉の押し方で刺激的に読者に作用する。
  ためらはず遠天をんてんに入れと彗星すいせいの白き光に酒たてまつる
 これも「遠天」。たまたま「遠」が多くなったが、訓読み、音読みどちらでも自在に名詞化する例は『あらたま』でも、「暗谷」(くらだに)、海此岸(かいしがん)、暁森(あかつきもり)、暗緑林(あんりよくりん)、荒磯潮間(ありそしほかひ)なんていうのもある。
 こういうのは後の歌集には次第に少なくなるのだが後期になって、
  このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南にむかふ雨夜かりがね
                            『小園』
  最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
                            『白き山』
のように、ここいちばんのときに登場してくるのは面白い。「逆白波」は土地の人の言葉を小耳に挟んで遣ったというが「遠白波」はどこかですでに遣っているから、まさに好みに合致したというところだろう。
 こういう用法はむろん万葉集から摂取したところが大きい。
  たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
 「草深野」(くさぶかの)という結句がとても印象的だが、これは草が深く繁る野、を凝縮した造語らしい。『名歌名句辞典』の解説によれば。
 万葉には「草深百合」なんていうのもあるし「夕波千鳥」とか「夕月夜」などは慣用的詩語になっている。組み合わせで詩語を創るときめきが茂吉にはあっただろう。漢語の音のひびきで近代の語感も加味した。土屋文明でも違う感じの語彙でときどきある。文体と同時にこういう名詞萌えも興味深い。

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