八角堂便り

歌で味わう③〈串もん〉 / なみの亜子

2021年8月号

 辺りを通りかかると、その匂いに胃袋や唾液腺が大いに刺激される。例えば焼肉屋。焼き鳥屋。個人的には焼肉の匂いは「白米」で受け止めたく、焼き鳥の匂いは「生ビール」がいい。肉を前歯で咥え「串」を真横にぐいっと引く。その一連の動作の合間合間に、これまたぐいっとビールをやるのがたまらない。
  それでキャベツを齧つて待つた。焼き鳥は一本一本くるから好きだ
 このお店のシステムはこうなっているらしい。ガリを載せた皿に、注文した握りが一貫ずつ置かれる寿司屋のごとく、皿にはキャベツが盛られていて、そこに注文した串が一本一本来るのだ。その待ち遠しさと期待感。おお一本来た、何だ何だ、という高揚感。盛り上がる。
  ざく切りのキャベツちり敷く受け皿にまづバラが来てズリ、皮、つくね来(く)
  おまかせの七本揃ひたるころはすでに食べにし串のいくつか

 オーダーは、おまかせ盛り合わせ、みたいなやっちゃな。「バラ」が入っているあたり、鶏族だけに狭めない「串もん」のバラエティーが追求されている。続いての「ズリ」「皮」「つくね」。焼き鳥好きのツボをしっかりと突きつつ、いい緩急をもったラインナップだ。さあ、このうちどれが「塩」でどれが「タレ」か。
 むかし小学校中学年まで住んでいた社宅に、三本の桜の大樹が囲むようにたつ一角があった。春にはその下に集まって、お花見をする。メイン料理が「焼き鳥」だった。午前中に養鶏所から買ってきた鶏肉と葱などを、竹串に刺していく。タレ係はしょうゆ、みりん、砂糖を煮詰め、絶妙なとろみをつけて仕上げる。桜の木の下では、設営班が焼き網を渡せるだけの溝を掘り炭火をおこしていく。始めよう、と串が網に載ると、私ら子供がタレを刷毛で塗っていく。辺りにあがる香ばしい匂い。桜の花もボヤけるような煙。酔いが回ってくると、あちこちで串が焦げ出す。誰かが皿に取り置く。いつの間にか誰かが平らげている。ああ祝祭。
 おかげですっかり「タレ」の虜になった少女(←私)だが、後年、東京渋谷の焼き鳥屋で「塩」に出会う。これも鮮烈な出会いとなった。今では、皮、ズリなら塩。ねぎま、レバーはタレ。月に一度くらい、これらの串をデパ地下で買ってふくふくで帰る。だが、食べる前にチーンとしていざ、という瞬間のわくわく感は意外にささやかだ。やはり煙と匂いのなか香ばしく焼き上がるのを待つ。串もんならではの楽しみは、そこにある。
 歌は山下翔『温泉』から。若い作者が、飲食のあれこれと飲食の時間そのものを味わう「人間」をいきいきと描き出す。なかには〈焼き鳥が来るまへに食べてしまひたるキャベツのタレがだくだくとさみし〉もあって、あるよね〜と頷く。

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