百葉箱2021年7月号 / 吉川 宏志
2021年7月号
ざっくりと対に差したる雪柳揺れて墓石の文字をかくせり
黒沢 梓
情景が目に浮かぶ歌。白く明るい花と墓石の対比が印象的で「かくせり」に陰影がある。
新しい靴一つ落つこの道にをさな子抱き上げゆきし親はも
筑井悦子
落ちている靴から、もう居ない親子の行動を推理するおもしろさ。結句の文語に余韻がある。
封筒の継ぎ目にペンがぶつかって宛名のあなた少しくずれた
上澄 眠
細部を丁寧に描きつつ、下の句には不安感も漂っている。
街道に牛つなぎ石残りをりかつて越(こし)より塩を運びき
長谷部和子
古い石の存在感が伝わる。文体が簡潔で音感が快い。
一年を会へずゐる児の背の丈教へてもらひ柱に記す
安永 明
コロナ禍で孫と会えないのだろう。「柱に記す」に寂しさがこもる。「背」は「せい」と読むか。
古い映画をうすく流してリビングのあとはどちらも寝るだけの体
川上まなみ
前後の歌でルームシェアしている人を詠んでいると分かる。「うすく流して」にぼんやり見ている雰囲気がよく出ている。
いつだって最後のようにこの窓の幅で迎えた朝焼けのこと
君村 類
小さな部屋で孤独に耐えながら暮らしているのだと思う。「窓の幅」に閉塞感がにじむ。
ピストル型の体温計を当てられて両手を上げそうな夫私は上げる
新城初枝
「私」の登場のしかたが意外で、思わず笑ってしまう。
虹よりもおおきな鳥居を建てたあと飛行機の窓から眺めたい
田村穂隆
奇想が楽しい歌。下の句も、自分のアイディアを疑わずに押し通しているところがいい。
朝一番忘れたスマホとりにゆく昨日あなたと夢を見た場所
伊藤未来
いろいろと状況を想像させられ、楽しい恋の歌である。
腕を前から上にあげつつ走りきてラジオ体操の輪におさまりぬ
垣野俊一郎
上の句は、ラジオ体操のセリフをそのまま使いユーモラス。慌てた様子が伝わってくる。
手を洗ふ何度も何度も手を洗ふ世界の蛇口は開きつぱなし
水越和恵
パンデミックで、世界中で手が洗われる様子を想像し、その水量に圧倒されている。
折れそうな月を頭上にかざしつつ近衛桜の夜がはじまる
田巻幸生
「折れそうな月」は夕暮れの細い月の様子だろう。「近衛桜」の名もよく、美しい歌である。
ひとりでは家出と呼べずただいまとひとりごと言うたとえば月に
布施木鮎子
一人暮らしでは「家出」はありえないが、家出したい気分だったのだろう。結句で詩的な広がりが生まれた。
しゃぶしゃぶの灰汁を取りつつわたくしに殺せぬものを茹でる春の夜
松本志李
下の句にインパクトがあり、上の句の具体的な情景が、異様なものに見えてくる。
だってさあ仕方なかったやっちゃった言い訳のとき促音増える
両角美貴子
なるほど、と思わせられる発見。口語の跳ねるような響きがよく効いている。
運転席からは見えなかった月の話に歩きだして追いつく
ワトゾウ
車から降りて歩きはじめ、話題になっていた月が見えるようになった。自他の時間の差を捉え、奇妙な味わいのある歌だ。