百葉箱

百葉箱2021年4月号 / 吉川 宏志

2021年4月号

  風にまた呼気と吸気のあることを北風荒ぶ草原に見る
                          大城和子

 風が草を押したり引いたりするように吹くさまを、大きく捉えて歌い、力感がある。
 
  池の面の薄き氷は溶けながら閉ぢ込めゐたる落ち葉を放つ
                            仙田篤子

 静かな風景だが、結句の「放つ」によりかすかな動きが生じ、春の息吹が感じられる。
 
  いちめんの銀杏落ち葉のうえに立ち児は一枚を択んでくれる
                             永田 愛

 数多くの中から、すぐに一つを選べる幼子。迷いのない無邪気さを、尊いものと感じている。
 
  道の辺に今日も一つを見つけたり誰かの口を知ってるマスク
                             畑 久美子

 よく見る場面だが、下の句の表現で、ちょっとエロティックなおもしろみが生じている。
 
  黒豆がわずかに蓋を押しあげる音を聞きおり夜明け待ちつつ
                             中山悦子

 黒豆が膨らみ、蓋を押し上げるのだろう。不眠なのか。かすかな音を聞いてしまう寂しさ。
 
  それぞれの傷む速度は違うけれど二本同時に替える歯ブラシ
                             かがみゆみ

 二人暮らしの機微を、歯ブラシという物を通して描いており、どこか哀感もにじむ。
 
  稜線は中ほど白く途絶えをり越えゆく鈴鹿は雪となるらし
                            久次米俊子

 雪雲で、山の稜線が隠れている情景。「鈴鹿」の地名もよく、絵画的な美しさがある。
 
  生きているだけで濁ると言われおり点眼液をわたしに落とす
                             北虎あきら

 上の句は水晶体のことだろうが、生きることの本質でもあるだろう。結句も面白い。
 
  ニッポンとニホンの読みを定めかね真珠湾俘虜の手記音訳す
                             宮内笑子

 耳が不自由な人のため、本を音読して録音するときの苦労を具体的に描きつつ、戦争についても考えさせる。奥行きのある歌。
 
  厠より戻れば床は吉良上野介(こうずけのすけ)の抜けたる後の温もり
                               菊池秋光

 連想に意外性があって、思わず笑ってしまう一首。
 
  ラベンダーのお香部屋より消ゆるまで歌集『歩く』をしずかに歩む
                                寺田眞里乃

 河野裕子の『歩く』を「歩む」という〈ずらし〉に味があり、ゆっくりと読み進める様子が伝わる。上の句も情感がある。
 
  七草の粥入れたれば在りし日に母の焼きたる茶碗ぬくしも
                            田邊ひろみ

 残された物に手を触れることで、悲哀がやわらかに満ちてくる。しみじみとした良い歌。
 
  鳥笛が遠くまで響く日の空は触れると固い音がしそうだ
                           北乃まこと

 空に触れたときの「固い音」を想像したところが新鮮。「鳥笛」という言葉も魅力的だ。
 
  (おろし)吹く冬の仕事は山がいい風を遮る照葉樹の山
                          別府 紘

木を切るなどの作業をしているのだろう。冬の山の温かさが、第三句の口語からも伝わる。
 
  噴水が一度も噛まずに演説を成し遂げていてとても悔しい
                            木村亮太

 奇妙な発想の歌。結句はやや言い過ぎの感もあるが、うまくしゃべれない自分へのもどかしさも潜んでいるのかもしれない。
 
  手芸店眼売場に人形のまなこありたり開きたるまま
                         中山とりこ

 人形の眼だけが売られているという場面にインパクトがある。結句にも怖さがある。

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