百葉箱 2015年3月号 / 吉川 宏志
2015年3月号
一日中ゆうぐれだったような日の足首としてひかる三日月
白水麻衣
ずっと空が暗かった日、夕暮れに少しだけ雲が切れて、三日月がのぞいた。「足首として」と、「ように」を使わずに喩えた表現が巧くて、クールな美しさが生み出されている。
雨の気配が気配のままに消え去って一度に二つ実を落とす椰子
池田行謙
作者は島に住んでいる。「気配のままに消え去」る雨という表現が、南島の天候をたしかにつかんでいる感じがする。下句の椰子の木がユーモラスで、とても存在感がある。
石の壁姿を消して二十五年後白い風船並ぶその跡
藤江ヴィンター公子
ベルリンの壁が撤去されて四半世紀後の記念行事を歌っているのだろう。壁があったところに、たくさんの風船が並んでいるのだろうか。印象的な光景で、さまざまなことを考えさせる。社会的な出来事を、短い言葉でスナップ写真のように切り取り、記録するのも、短歌の重要な役割であろう。
切断肢を火葬するとは知らざりきまう近ぢかと覚悟迫るやう
藤原 學
上の句に凄いインパクトがある。病気で切断した自分の足が、火葬されるという体験は、じつに恐ろしい。自分の本当の死を、先取りするような痛みが伝わってくる。下の句はやや惜しく、「覚悟迫るやう」と言わなくても、上の句だけで十分響いてくるように思われる。
「しらさぎ」は吹矢のごとく降る雪を逃れて北陸トンネルに入る
石橋泰奈
列車がトンネルに入る様子を「吹矢」にたとえた発想が、とてもおもしろい。「しらさぎ」という名称もよく効いている。ただ、語順が問題で、「吹矢のごとく」が「降る雪」に係るように見えてしまうのが、もったいないところ。整理するともっとよくなる歌であろう。