百葉箱

百葉箱2020年12月号 / 吉川 宏志

2020年12月号

  味方のような灯りをつけて読み続く本の中では冬が深まる
                            芦田美香

 比喩に惹かれる。読書は孤独な営為だが、何かに支えられている感覚を抱くときもある。
 
  母なのに五人育てし母なのに病室に入れるのは兄のみ
                          筑井悦子

 コロナ禍のため病室に入れないのだろう。「母なのに」の繰り返し、下の句の乱調が、切羽詰まった思いを表している。
 
  朝夕に目薬点してとわが膝に目と目薬を持ってくる夫
                          西本照代

 目を持ってくる、という表現がとてもユニーク。甘えている夫の姿が可笑しい。
 
  わさび田のひかりしづかな夕つ方水車は水を捨てつづけゐる
                             清水弘子

 水車が水を捨て続ける、という把握にはっとする。確かにそのとおりだが、じつに新鮮だ。
 
  押し洗いする手のひらを押し返す水には水の力のありて
                           浅野美紗子

 「押す」「水」が繰り返されるリズムで、水の手ごたえが伝わってくる感じがする。
 
  ラヂオより虹日和とふこゑきこえ夕日と雨を追ひかけたつけ
                             吉田京子

 「虹日和」という言葉が美しい。結句の口語もいきいきとしていて、不思議な魅力がある。
 
  死んだのは母が先なる父の名を前にして墓碑の刻字依頼す
                            森 絹枝

 慣習として、母よりも父の名を先に書かざるをえなかったのだろう。かすかな違和感を秘めつつ、淡々とした調子で歌っている。
 
  カクレミノその名を聞きしは日照雨(そばえ)ふる野外教室木に身を寄せて
                                  宮城公子

 木への親愛感が美しく歌われている。結句の動作で、歌に生命感が宿っている。
 
  作り方教へて母なら言ふだらう紙に折りたる鞠を供ふる
                           越智ひとみ

 鞠の作り方を知りたがっただろうな、と亡くなった母を回想している。哀感深い一首。
 
  手のひらへ鋏を入れる「駅」というやがて錆びゆく手話に応えて
                               菊井直子

 切符に鋏を入れることはもう無くなったのに、手話の中では生きている。それを少し寂しがるような思いが籠もる。
 
  セロテープの芯からカッターへと架かる透明な橋ときどきちぎる   
                               永山凌平

 細かいところをよく見ている。「橋」の見立てが印象的。
 
  生きてきた長さは年齢とは違う夕日に染まる野葡萄の影
                           吉原 真

 上の句、年数では測ることのできない時間への思いを、ストレートに歌っていて力強い。下の句の「野葡萄の影」も美しい。
 
  新品のチョーク折れます筆圧もあるが〈李徴〉と書くとき折れる
                               鳥本純平

 「李徴」は『山月記』に登場する、虎になる詩人。教えつつ思わず力が入ってしまうのか。
 
  灯しても消してもなほ打つ鉦叩きテレワークに娘は未だ覚めをり
                               飯島由利子

 在宅勤務でかえって忙しくなった娘を案じる思いと、虫の音が重なり、情感が深い。上の句から時間の流れが伝わる。
 
  控えめな場所を選んだ寄せ書きの似たひとばかり集まった場所
                              豊冨瑞歩

 なるほどと思わせる観察から、人間のおもしろさが浮かび上がる。「場所」の重複が、やや惜しいところである。

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